ショカン的空間

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京都大学アトピー性皮膚炎の新たな治療戦略を発見
作成日: 2017.03.01 [出典]京都大学  ikikenko.nms.ac.jp/news/20170301.html

 京都大学大学院医学研究科椛島健治教授らの研究グループは、九州大学東京逓信病院、ドイツ、アメリカ、イギリス、ポーランドの研究機関と共同で、アトピー性皮膚炎に対する治療薬として開発中の「抗IL-31受容体ヒト化モノクローナル抗体nemolizumab」に関し、安全性や有効性、最適な投与量などを調べる共同治験を行った。本研究成果は、3月3日付のアメリカの科学誌「The New England Journal of Medicine(NEJM)」電子版に掲載された。


 アトピー性皮膚炎は、皮膚バリア障害、かゆみ、湿疹を主徴とする皮膚疾患で、慢性的に回復と悪化を繰り返すという。また、アトピー性皮膚炎患者におけるかゆみの発生にはインターロイキン-31(IL-31)が、IL-31受容体を介して関与していることが報告されているという。


 そこで本研究グループは、国内外の中等症から重症のアトピー性皮膚炎患者264名を対象に、IL-31受容体の中和抗体の有効性と安全性を検証したところ、重篤な副作用もなく抗IL-31抗体の臨床症状やかゆみに対する有効性が確認されたという。
 今後、IL-31 の制御がアトピー性皮膚炎の新たな治療手段やQOL向上の一助となる可能性が期待される。

 

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そちらの 女性の病気特集  子宮内膜症 

チョコレート嚢胞とは?

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卵巣深部にできた内膜症を「チョコレート嚢胞」とよびます。

内膜症は月経周期に合わせて出血しますが、卵巣にできた出血は卵巣の中でとどまり、嚢胞といわれる袋状の房の中に貯留されます(図3)。

その中で、古い出血は時間とともにチョコレート様の粘性の高い状態に変化するのです。

嚢胞は次第に5cm,6cmと大きくなり、破裂する場合もあります。また最近では、チョコレート嚢胞は「卵巣がん」になりやすい、ということも分かってきました。

明楽 重夫 SHIGEO AKIRA 日本医科大学付属病院 女性診療科・産科部長

知的財産推進センター 研究者データベース 明楽 重夫

 

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ladys-home.ne.jp/faqsite/ans-files/FAQ-H/FAQ-H6.html

 

 

 

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器を踏み割る 呪法

彦火火出見尊絵巻』全六巻

古事記日本書紀にみえる兄火闌降命の海幸と弟彦火火出見命の山幸の神話を潤色したもの だそうですが

 

小浜市門前 真言宗御室派明通寺に有る と 「市」は

 

彦火火出見尊(若狭彦神社祭神)と海神の女豊玉姫(若狭姫神社祭神)との婚姻説話

その子鸕鶿草葺不合尊の誕生に至るまでの物語り

『看聞御記』の嘉吉元年(1441)4月16日の条に、この絵巻の原本(2巻本)が若州松永庄新八幡宮に在り、後崇光院が帝に進覧のためにこれを借出したとの記述があり、その中にも古くすぐれた絵とあるから、原本は恐らく平安末期の作と推定されるものである。更に降って寛永17年(1640)には、これが3巻本となり明通寺の什宝となっていたものを、藩主酒井忠勝が将軍家光に献上したため、忠勝は狩野種泰に命じてこれを模写して6巻本となし、詞書は足立勝興に楷書せしめたものが本絵巻であり、その原本は既に現存しない。

 

「県」による 同様の記述

『看聞御記』の嘉吉元年(1441)の記事によると、本絵巻の原本は、若狭国松永庄新八幡宮に『伴大納言絵巻』(国宝・出光美術館蔵)・『吉備大臣入唐絵巻』(ボストン美術館蔵)とともに伝わったことがわかる。これら3本の絵巻は、その後別当寺の明通寺にあったが、藩主酒井忠勝によって徳川家光に献上され、その際、明通寺のために狩野大学種泰によって模本六巻が作られた。狩野種泰は狩野松栄の門人、内匠助種永の子で、将軍家光・家綱の二代にわたって御用絵師を勤め、寛文9年(1669)54歳で没している。本絵巻は、酒井忠勝の若狭転封の寛永11年(1634)からの家光の薨ずる慶安4年(1651)までの間、彼が三十代前後の若い時期に制作されたものであると考えられる。

 

 

すみませんが トリミングさせていただきまして

f:id:kaon-yokegawa:20150822223041j:plain 待女が土器を踏み割る シーン  ・・とのことで

カットした右のほうにある足先は「ウガヤフキアエズを出産しようとしているトヨタマヒメ」のもの

らしいです

 

 

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底を抜く 屋上から落とす 類感呪法

何かと器を割る(ばらまく)・・さまざまな説がありそうですが 

「胞衣納めの故事・慣習」のほうからの解釈を (のこした)手持ちの書から

 

 

…『胞衣えなの生命いのち』1999 より…    「出産と土器破壊」甑落とし

「難産の時は、押し桶を出し、幾度も底をぬくべし」『懐妊着帯之事』

押桶を子宮・産道に見立てた類感呪術であろう と

 

押桶の底を抜くのが 嬰児を母胎からおろす呪術であることは 間違いない

また 胞衣をおろすため 桶を屋根の上から落とす呪術もおこなう

後者と同様の目的のため、大原から取り寄せた甑を落とすことは、すでに12世紀になされていた。 45

指摘しておくべきいくつかの点

甑の呪法が押桶呪法に変化した理由

産前後の水洗用に桶を多く使うようになり 胞衣納めのシステムに桶が入り込んできたのだろう

焼きものと桶の混用は12世紀になってから始まったようだが その段階では主容器は焼きもののほう

(のち近世にいたり重点が移ってゆく) 45

 

『懐妊帯書伝記』1669成立/伊藤幸/近世前期の小笠原流故実家

幸氏の説明において 甑・押桶の底抜きと甑・押桶の転落の両呪法の関連があいまい

第一に、甑の代わりに押桶を使うのだとすれば、古くは難産のときに甑またはその他の焼きものの底を抜く呪法があってもよかった。今のところその例を探しあてていないが、幸氏はその旧例の存在を示唆している。

第二に、甑・押桶の底を抜く安産呪法と、甑・押桶を屋上から落とす胞衣下ろし呪法は、子宮・産道からの脱出が困難な胎内物の下ろし呪法という点で等しい。嬰児を脱出させるためにも、胞衣を脱出させるためにも、胞衣を脱出させるためにも、おなじ呪法を使ってもかまわないはずではないか。

ただし嬰児を胎内から出す類感呪法としては、甑・桶を屋根から落とすのは乱暴に過ぎるかも知れない。いずれ二つの呪法は起源において関係があるのではないか、という疑問が消し難い。

 

安徳天皇恒明親王のときの甑落としの記事によって判断すると、甑を高所から落とすこともさりながら、甑の破壊にかなりの重きが置かれているように見える。想像するに、甑の屋上からの落下を胞衣の産道よりの降下と類比する呪術は、子宮・産道に見立てた甑の出口を開くためにこれを破壊する呪術から派生したのではないか。

 

甑落としと同根と思われる呪法の図が彦火火出見尊絵巻』(1200年前後)に描かれている 46

この場合 土器の破壊は胞衣下ろしの呪法ではなく 安産の呪法と解釈するほかない。

…『胞衣えなの生命いのち』中村禎里

 

 

 メモ  同書 埋甕と胞衣   胞衣容器か死産児・死亡嬰幼児葬器か 163~

明治のはじめに「貯口」製造 販売

明治のはじめ(1877年)に 日本でチョコレートが食べられるようになった

東京両国でチョコレートが製造・販売されたのが最初とされる

当時は貯口齢糖 千代古齢糖 猪口冷糖などの名前

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歴史上 最初にチョコレートを食べた日本人は伊達政宗の慶長遣欧使節として1613年に慶長遣欧使節船サンファン・バウティスタ号でメキシコ スペインを経由して ローマ法王に謁見した支倉六右衛門常長ではないかといわれる

当時スペイン領だったメキシコでは チョコレートが賓客に供されたため 常長はチョコレートを味わった可能性が高いということだろう(慶長遣欧使節船協会編 1993)

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筆者(木村修一)はメキシコのユカタン半島に残されたマヤ古典期最大の都市遺跡チチェン・イッツァの遺跡を訪ねたとき 案内人から「このあたりはチョコレートの付いた壷がみつかった場所ですよ」と説明を聴いた

その近くにある神殿を祭るピラミッドには2度登ったことがあるが 数年前に行ったときは禁止されていた…転げ落ちて亡くなった人がいたとのこと

P75『チョコレートの科学』

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スペインにおけるカカオの変身

ヨーロッパにおいて カカオは最初に新大陸を統治するスペインに入った

カカオの飲み方は改良され「新大陸の珍奇な飲み物」から 砂糖やバニラなどを入れた「芳醇な香りのする甘い飲み物」に変身

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カカオはスペイン宮廷の人々を虜にした

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はじめてスペインでカカオが調理された場所は スペイン・アラゴン地方の町 サラゴサの南にあるピエドラ修道院

その修道院は大きな岩場に囲まれた地域に建っているが そこの記録によると 1534年にはじめてカカオが調理された

それは エルナン・コルテスがメソアメリカからスペイン宮廷にカカオを献上してから10年も経っていない

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現在は ピエドラ修道院跡は観光地となり チョコレートの歴史が展示されている

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ピエドラ以外の カカオを調理した修道院

その一つはバルセロナから車で1時間ほど西にあるカタルニアの町 タラゴナ郊外のポブレー修道院

二つの修道院はいずれもシトー会派により建造されたが

12世紀はじめにその地からイスラム勢力を追い出し 1137年にカタルニアとアラゴン連合王国を作った勢いで建立された

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シトー会派修道院のルートで カカオがフランスやベルギー(当時はスペインの植民地)にも伝わったとされている

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ポブレー修道院の「チョコレートの間」には 器に入れたカカオをささげ持つ修道士の絵がかかっている

その絵の右上に書かれているラテン語は 『旧約聖書』のなかの「出エジプト記」に出てくる一節で 直訳すると

「壷を一つ取って,それにマンナを入れ,主のみまえに置いてあなたたちの子孫のために保存しなさい」

P9、10『チョコレートの科学』

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古代のカカオ酒を入れた壺

要素を とりあえず あげてゆく 感じで

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2007年 アメリカ・コーネル大学人類学教室のヘンダーソンらは メソアメリカ ホンジュラス北部のウルア渓谷の低地にある村で古代の壺を発見

その壺が作られたのは紀元前1100年頃と推定されたが 壺の中からテオブロミンとカフェインが検出された

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テオブロミンとカフェインは カカオパルプとカカオ豆の両方に含まれているので 壷からみつかった成分がどちらに起因するのかは決定できない

ヘンダーソンらは その壷がカカオを発酵させた飲料の容器であるという仮説を立てている…根拠は首の長い容器の形

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その時代よりも比較的新しい時代に作られた容器では 注ぎ口のある張り出した首のついた壷が見つかっており それはメソアメリカで飲まれていた

  カカオ豆やトウモロコシを磨砕して水と混ぜ

  高所から容器に落としたり

  激しく撹拌して泡立てた

カカオ飲料を入れた容器と思われる

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ヘンダーソンらが発見した壺は泡を注ぐのには適していない

カカオパルプから作ったアルコール飲料を注いだものと推測された

さらに 後の時代でカカオ飲料に加えた蜂蜜や唐辛子(カプサイシン)がみつかっていないことも パルプ由来の発酵飲料という仮説を支持している

ヘンダーソンらの発見は 人類がカカオを最初に食したのは カカオ豆を用いて作るアルコールを含まない泡立てた飲料ではなく カカオパルプを発酵させた飲料であることを示している

佐藤清隆『チョコレートの科学』P8

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チェコ

ちょっと娯楽のほうにと 思って 手にしたのですが

(最近「寝込む」とは書かずに「フス」と)

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チェコ小史より トビトビで

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…1212年にボヘミア王国が生まれる

鉱山業に富み (チェコで鋳造された高純度銀貨は国際通貨になった

ちなみに、トラルと呼ばれたこの銀貨はDollar(ドル)の語源であると思われる。

… …1333年 王位継承者 ルクセンブルグ家のカレルがフランスからプラハ入り

1348年 パリ大学を模した帝国内で最初の大学 プラハ(現カレル)大学設立

1357年石橋(現カレル橋) 25の修道院設立など

ドイツ語と共にチェコ語を尊重し 王国の公用語と定めた

1356年に金印勅書で選帝侯特権を承認し帝国強化の基礎をチェコに置いたが

ドイツ化が進むなかやがて民族的反動が起きる

その先駆けとして、プラハ大学総長であったフスの宗教改革が挙げられる。カトリック聖職者は攻撃され、フス教徒はプラハ大司教と衝突したことによってローマ教皇から破門、フスは1415年に異端の罪により火刑に処せられた。これを機に、1419年、第一回窓外放出事件によってフス戦争が勃発する。フスによる宗教改革は、一世紀後のドイツでのルターの改革運動の先駆けでもある。P11

グスタフ・マイリンクの小説『ゴーレム』(1915年)やポール・ヴェネゲル監督の映画『ゴーレム』(1920年)に登場する、ラビ・レヴというユダヤ祭司によって粘土で作られたという初の人造人間ゴーレムは、16世紀にプラハで産声をあげたと言われている。マイリンク、カフカリルケなどは皆プラハを拠点とした作家だった。 P14

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クリスマスの24日の晩餐では鯉を食べる習慣がある

鱗は縁起物で 一枚を財布に入れると儲かると言われる P15

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チェコの歴史に由来する独特なものとして、人形劇がある。ハプスブルグ家によるドイツ語使用強制化により演劇は主としてドイツ語で行われたものの、庶民向けの人形劇だけはチェコ語で上演された。あの『ファウスト』もゲーテの戯曲より早く、チェコで人形劇として上演された。コペツキーを中心とするたくさんの劇団はバロック劇の効果を取り入れ、18世紀から各地で人形劇を拡め発達させた。それらが、チェコアニメの礎となったのである。 P16

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カレル・ゼマンは1910年11月3日、フラデツ・クラーロヴェー地域にあるオストロニムニェジュという小さな街の貝ボタン職人の家庭に生まれた。現在、105番地にあたるゼマンの生家には資料館が作られている。ゼマンが産声をあげた時代は、チェコはまだオーストリア・ハンガリー帝国の一部だった。若き日のゼマンは両大戦下のめざましい発展期を体験した人物であった。 P19

山村浩二、ゼマンを語る」

『水玉の幻想』は、素材がガラスなので、カメラに写っていないセットのまわりも、映り込む危険があるので、きちんとまわりを黒く覆っていろんなところを隠しておかないといけない。

…何かのはずみで光の反射や映り込みが原因になってNGが出てしまう…

僕もマルチプレーンというガラスを組んで撮影をするんですが、どうしてもそれが鏡の効果になってしまって、上に載った素材が下に映り込んでしまったりするんです。それ以外でも、スタジオの何かの光の加減で白いもやが映ってしまったりする。

…撮影のセッティングにはものすごく神経を使います…

固定という点で言うと、ガラスは透明ですから、逃げ場がほとんどない。人形だったら、立たせるために、足にピンを挿したりネジで裏からボルトでとめたり、カメラの死角で背中に何かを挿して支柱にして倒れないようにするんですけど、ガラスだからできない。どこにも留めるものや隠す場所がないわけですから。 P76

カレル・ゼマン Karel Zeman』2003

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P. I. Tchaikovsky - Violin Concerto in D major, Op. 35 - Itzhak Perlman

 

 

 

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