異常性に気付かなかったその鈍感さ

医学界では秘密でもなんでもなかったことが、非医学界では戦後長く知られなかった事実はどう考えるべきなのだろうか。秘密でもなんでもなかったから医学界自らが「暴露し、明らかにする」必要を感じなかったという言い訳は可能だろう。しかしその場合、非医学界に対して隠されていた人体実験の異常性に気付かなかったその鈍感さは強く責められるべきだろう。あるいは逆に、異常さ故に隠してきたのなら、医学界という仲間内には人体実験の事実を知らせた、医学者・医者の特権意識、自分たちを権威と考える思考方法は昔も今も変わっていないということだ。

 

しかし退いて考えてみると、特に隠すという意識すらないのかもしれない。それは戦争中も同じだった可能性が高い。それが部隊の医学者による人体実験を、彼らが発表した論文その他によって意外に容易に立証できたことの原因かもしれない。それは次のように考えられる。非医学界の人間は、自分が被害者・被験者にされるかもしれない、あるいは殺されるかもしれないと思うから、残虐行為であることが理解できる。しかし医学界の人間にとってそれらは日常的な営みであり、特別な行為ではないということなのだろう。

 

医学者たちの最終的にはヒトを殺害する人体実験は、防疫研究室を媒介として、軍である731部隊などと、民である医科大学とが形成するネットワークの中で行われていた。殺害の当事者は軍の研究機関にいる医学者だが、その「利益」を享受するのは彼らだけではなく、その師である民の研究者でもあった。また実際に手を汚した研究者たちには自分たちの行為は、国や軍のためであり、さらには科学・医学の進歩に貢献しているという、言い訳も成り立った。

 

これは医学界だけですべてを決定し、その「結果」を社会に強要する、ということだが、ということだが、現在ではそうしたことはないのだろうか。ここで問題とするのは、「結果」の良し悪しではなく、医学界単独で「結果」を導く社会性の欠如を問題にしている。21世紀になっても本稿で述べた蛮行を無視しつづけていることこそ、日本の医学界が社会性を欠いていることを示しているのではないか、と憂慮している。このことが問題なのは、731部隊のようなストレートな蛮行を繰り返すことはないだろうが、もっと屈曲した形、あるいはより巧妙な形で蛮行が行われる危険性が高く、それをチェックする機能が乏しいということだ。 108

『悪魔の医療史 人体実験・軍事技術・先端生命科学』2008

第1部 繰り返される暴走 / 第六章 731部隊と1989年に発見された多数の遺骨…医学者たちの組織犯罪/常石敬一

 

(常石氏は その部隊と帝銀事件との関連についての著書も出されているだろうか?)

 

以下を記入後 すぐに同じ文章をみつけ 再び打ち込みをした(重複)

 

 

     ・・・・

 

 

 

氏が 「満州731部隊」に取り組み始めたのは1970年代の後半から とのことで

最初にまとまった内容のものを発表したのは1980(昭和55)年秋『科学朝日』において

常石敬一「旧日本軍の細菌兵器開発」『科学朝日』10月号 40巻10号 通巻475号 83-87 および11月号 40巻11号 通巻476号 84-88 1980)

 

それを元にして 翌年 1981年5月に『消えた細菌戦部隊』を発表

常石敬一『消えた細菌部隊』海鳴社 全240頁 1981)

 

研究を始めた当初は 731部隊にだけ目が向いていた…それ以外の組織を調査し分析する余裕はなかった…後 姉妹部隊 生み出した陸軍軍医学校 と 調査対象が広がった

 

「蛮行」に対する疑問

 

その解決策として、731部隊を特別視し、部隊員を鬼として切って捨てることもできないわけではないだろう。

 

そうすると、「かつて731部隊という鬼の集団がいて、ひどいことをしていました。戦争は恐いですね」ということで終わってしまうだろう。戦争の恐さを強調するには、731部隊を戦争時の特別な集団による狂気と見ることは都合が良いだろうが、それでは何故彼らがそうした狂気に走ったかを分析するには回り道となる。さらに、戦争が彼らを変えたわけではなく、彼らが戦争を利用したという側面もある。

 

だが、医者・研究者という科学の研究主体を主たる関心とする筆者には、そうした切って捨てるやり方を採用する気はなかった。また一時期、科学の研究現場に身を置いた経験から、731部隊の部隊員たちが人体実験に手を染めたこともとても他人事とは思えなかった、ということもあった。

 

そのような意識の下 より広い視野から捉えたいと考えた

 

 

吉開那津子・湯浅謙『消せない記憶』(日中書林 全230頁 1981)によると

 

1940年代前半 医学生の多くが中国大陸に行けば「人体実験」をする機会があることを知っていた…さらにそのことを不思議に思わなかったことが分かる

 

 

この意味は、731部隊の部隊員たちは特別な存在ではなかった、ということだろう。これはコペルニクス地球中心説を捨て太陽中心説を採用した動機に関して、T・クーンの次のような指摘を思い出させる。

 

……コペルニクスはそうした流れには不案内だったようだが、彼はこれらの哲学上の流れに乗っていた。それは丁度、彼と同じ時代の人々が無意識のうちに地球の運動によって運ばれていたのと同じである。コペルニクス著作は、天文学の内的状況およびその時代のより大きな知的風潮との関係において見ないかぎり、いつまでも不可解なままである。それら両者が一緒になって怪物を作り出していたのだ……

 

(T・クーン『コペルニクス革命』(常石敬一訳)講談社学術文庫 全220頁 1989)

 

どんな科学者も時代の制約を逃れられない。それゆえ1人ひとりの科学者の考えには時代の制約が投影するし、また逆に、その他の研究者もその制約を免れ得ない。そのことが、ある1人の天文学者の革命的な天と地を入れ替える提案に、他の人々も次第に支持を与えていったということだ。このような歴史の歩み、また1981年以降元部隊員にインタビューをしてきた経験を踏まえて731部隊員たちを見ると、彼らは決して特別異常な人々ではなかったのではないか、と考えるようになった。

 

初めは、人体実験を行い、そして学術論文に実験動物として「サル」とごまかさざるを得なかった元部隊員を、異常な研究者たちと考えていた。しかしすぐに、彼らの「サル」というごまかしは同業者、医学研究者の間では通じないことが分かった。このことが意味していることは何か。

 

その点について筆者はすでに『医学者たちの組織犯罪』(朝日新聞社 全295頁 1994) 後の朝日文庫 1999 に書いている

 

……石井機関の人体実験は医学界においてはほとんど誰もが知っていたことだった、という現実に行き当たる。その結果、部隊にいた研究者たちは部隊での自分たちの研究を医学論文として発表していた。さらに戦後になっても、人体実験の結果であることが明白な論文を発表したり、また部隊の思い出を医学雑誌に書いたりし、それが受理され掲載されてきた。この事実は石井機関の人体実験が日本の医学界では誰もが知っていることをよく示している……

 

 

医学界では秘密でもなんでもなかったことが 非医学界では長く知られなかった事実はどう考えるべきなのか?

 

秘密でもなんでもなかったことだから医学界自らが「暴露し、明らかにする」必要を感じなかったという言い訳は可能だろう。しかしその場合、非医学界に対して隠されていた人体実験の異常性に気付かなかった、その鈍感さは強く責められるべきだろう。あるいは逆に、異常さ故に隠してきたのなら、医学界という仲間内には人体実験の事実を知らせた、医学者・医者の特権意識、自分たちを権威と考える思考方法は昔も今も変わっていないということだ。

 

しかし今、もう少し退いて考えてみると特に隠すという意識すらないのかもしれない。それは戦争中も同じだった可能性が高い。それが部隊の医学者による人体実験を、彼らが発表した論文その他によって意外に容易に立証できたことの原因かもしれない。

 

それは次のように考えられる

 

非医学界の人間にとっては、自分が被害者・被験者にされるかも、あるいは殺されるかもしれないと思うから、残虐行為であることが理解できる。しかし医学界の人間にとってそれらは日常的な営みであり、特別な行為ではないということなのだろう。そのことは戦前も、戦中も、戦後も変わっていないということのようだ。

 

少しはしょって言うと、元部隊員の「異常行為」は同業者の間では周知の事実であり、そのことについて部隊員をいさめる医学研究者はほとんど存在しなかったらしいということだ。その理由が、コペルニクスのように同じ時流に乗っていた、この場合は戦争に勝つという共通の思いがあったためか、それとも軍国主義の暴圧の下、異議申し立てができなかったゆえか。

 

もし、原因が後者であるとすると、そして上記の医学研究者も医者という専門職業人だと考えると、日本において医者という専門職業は成立しているのだろうか、と疑わざるを得ない。(略)

 

筆者が考える医者の技能は、人の生死の判断だ。

 

(以下略)

 

『NO MORE 731 日本軍細菌戦部隊』2015第1部 プロローグ

731部隊をどう捉えるか……………常石敬一

 

 

     ・

 

 

『NO MORE 731 日本軍細菌戦部隊』2015 8月15日第1刷発行

医学者・医師たちの良心をかけた究明/繰り返すまい!医学者・たちの戦争犯罪

 

編者 15年戦争と日本の医学医療研究会

htpp://war-medicine-ethics.com

編者責任者 西山勝夫/15年戦争と日本の医学医療研究会 事務局長/滋賀県医科大学名誉教授

発行者 黒川美富子

発行所 図書出版 文理閣/京都市下京区七条河原町西南角

htpp://www.bunrikaku.com

印刷所 新日本プロセス株式会社

ISBN978-4-89259-768-8

 

 

     ・・・・

 

 

隠してもいなかったようだが

決して消せない「記憶」は 消えていない

 

キエナイ と

 

 

「病床にあるごとく装った石井が のらりくらりとして満足に答えない(のに業をにやした…略)」243

 

隠した部分や 創作についてはどうだろうか

 

 

さて‥

 

それらが「実話」なら ついてくる しかるべき それなりの‥「責められるべき」物事

 

清算は どこまでも付着 付随  こびりつき

 

 

無いのなら 何も無い‥その場合 (暴走)「先端生命科学」等等も 全て 存在自体が無いのだろう

 

 

グレー  gray  grey は 「灰」

粉がのこるかどうか?  ash(es)

 

遺跡 形跡も 無い

 

 

メモ:「突貫工事」 148

 

(何かが有るなら‥ ここで続けると思われる)