『アラスカの氷河』より (北極圏の生活)
フェアバンクスで閉口したのは 夜がないこと 103
冬になると その正反対 104
大学は街から5マイル離れた荒野の真ん中にあり
学生は寄宿舎に 教授たちは官舎
官舎は十分でないため つぎつぎ新築しているそうで
今度の新研究所の裏にも、立派な官舎が六軒造りかけになっていた。ちょっと覗いてみると、基礎は全部出来ていた。床が八尺くらいの高さで、半地下式になっている。この部分はコンクリート造りで、この一階が倉庫、乾燥室、ボイラー室になっている。その上に丸太組の木造の平家が出来るのだそうである。一般の住宅も、大体こういう調子になっている。 106
「ポイントバローといえばフェアバンクスの気象台」
北極までの気象観測飛行を B29を使って一日おきに定期にやっている(予報係のリンドレイ氏)
フェアバンクスから加奈陀(カナダ)の北氷洋岸に飛び 真っ直ぐに北極の上空に達し ポイントバローを廻って帰る…18時間 冬も 年中やっているという 106
(野外観測所からの帰りに ノーケ博士の車でフェアバンクスの繁華街へ出て)
ワイラー氏の家へ連れて行かれた…
氏は魚釣りに行く準備中 「アラスカ半島の方へ鱒釣に行く」
リュックに放り込んだのは 「緑色のゴム長」 釣竿は「デュラルミン製」で
釣竿を「金属製の筒」に入れたものを「六本まとめてしばっていた」
(棚から大きい地図をとり出して 床の上に拡げて)イリアムナ湖を指さし
「ここのイギギクを中心にして、周囲の沼沢(しょうたく)地方を、方々釣って歩くのだ」と ワイラー氏は説明
たいへんな距離で、汽車などももちろんある所ではない。きいてみると、アンカレージで水上機をやとってイギギクまで飛び、そこを根拠地にして、方々の沼へ着水して釣り歩くのだそうである。 111
(天然写真をたくさん出してきて 見せてくれた)
赤い小型水上機を使っている
釣り上げた大きい紅鱒が 真赤な筋を見せて並んでいる写真もある
「こんな小型機だと、一時間35ドルから50ドルくらいだが、二つエンジンの大型機だと、一回500ドルくらいとられる」 112
アラスカの第一区(加奈陀の太平洋岸)の氷冠(アイスキャップ 万年雪で覆われいる地帯)では 一回のストームに10メートル積ることがある 113
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国際雪氷委員会のエヂンバラ総会の報告書が届いた時 総裁としてのチャーチ博士を初めて知った…1936年だったかと思う
1939年だったか ワシントンで国際雪氷委員会の第三回総会がありチャーチ博士から出席を希望されたが
当時は戦争の前 世界中の空気も険悪 私も療養中で 断念
その代りに、その前年初めて成功した人工雪の研究過程を、顕微鏡映画に撮り、英文のアナウンスを入れて、総会に送った。 114
「積雪水量測定の父」チャーチ博士
ネバダ大学ではラテン語の教授として迎えられ ついで美術史を担当することになり 建築 絵画 彫刻の歴史を講義していた冬の山登りは道楽…リノ近くのローズ山や附近の冬山で 夏のネバダ州の一部を養う水となっていることに着目 117
(ネバダ通信 114〜138)『アラスカの氷河』
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雑談などの要素から イトを横にも たどってみるような・・・・ さらに掘り下げて
さらに と
たとえば・・(軽々しく)ひきとめる というふうな
それが何をもたらすのか ケンゲン の 一例としては 「赤猪子」
ほか 資料が ほとんどないこともあり 簡単に復習
「…髪につけていた黒い木の蔓を投げつけ…葡萄が生えて実り…」
「この釣り針を…唱えながら…手を…して渡す…」等々
「倭建命が山を登っていくと、大粒の雹が降り出して…」(伊吹山)
(「当芸野 たぎの」あたりに着き)「…足はたぎたぎしくなり…」
そこは「当芸」 と
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そのような地には 。。おりませんのですが
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就寝中‥日付の変わる頃 つり
左フクラハギのヒドイつり方で‥その後も あれで
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25 何度めかの北西の「沿い」‥日陰 表面の薄い凍土が溶けにくい・・終日そのまま あるいは さらに
暗く 寒く 削りにくく (遮られ)状態が見えにくいという面 でしたか
前の場で一緒だった男性3人
おふたりとは ここ1週間くらい 自然に ぽつぽつと交わすことがあり
おひとりは 2週間 あるいは 3週間近くお姿が見えず・・このタイミングか と思いましたが
27に出てこられ 近くで作業をしたのですが ギャップなさめのスムーズな感じ
(北)西 清掃
J ファンの彼女は あれですね (何かのお役目でもあったのでしょうか?)
「歴史と格闘技オタク」
「 の実家と同じ自転車店組合に所属」(ついでに「伝説を始めるウルトラマンのひとり」)
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