時 答 茗

  記録は 3、4日ではなく 2日前後か(連日ではない1.5日とか 2.5日か というほどの) 現代の最新方式なのか

  レーザーが出るわけでもなく 昇降台のようなものに乗って

二人で サクッと作業されていたと そちらに詳しい方にお聞きし

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団体名などが 消えていくかのような 平らになった印象の  きょう

個人的には ある種の 心?を くばり終えたかのような 静かな面も

ある といえば  あり

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先月末の数日 就寝中に長めの頭痛  そのときのそれに よく似ている と 思い出していた

‥小動物の “至福” 的 な 表情 醸し 音‥

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泡ができてから はじけるまでのシーン

そのような何かを 逆まわし?に再生?しているかのような

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「ゆく川の流れ…」が 逆流しているかのような

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  (午後 銭が出‥呪まじないで なげることもあった という説明が 近くでなされ 屋外)

  (ヒ ナ マ ツ リ… とだけ ちいさく ゆったり つぶやかれた声も そばで聞かれ 室内)

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1212年「鎌倉時代」「鴨長明 方丈記」 「平安末期」についての記録

  凶作 追いうちをかける流行性の病気

  薪もなく 生計もたたず 家をこわし売る

  鴨川の河原には 死人があふれ 野犬や烏も餓えて群がる

まさに、「無常」を感じさせる一コマである。

  政変のかげには多数の浮かばれぬ犠牲者

人々は、これが怨霊となって都の人々を疾病で悩ますと考えた。

  怨霊を慰めるための祭りは 863年の怨霊会が最初

  やがて御霊神社となった

祗園の御霊会も同じころの疫病流行時に鉾を立て 怨霊退散の祈願をしたことにはじまる

『病とのたたかいがはじまる』

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‥もどさなければならない‥

  何かの「症状」が 転換などしているとしても(表面的な情等の持続)背景に思いが至らなければ 繰り返し

  このようなことは わざわざ記入せずとも  「清算」などいう言葉をたびたび使わずとも

大袈裟にならぬように 暮らせるもの・・  ここは そういう場

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沢山の ‘螢’ を視たのは 黒羽 大田原 那須 そんな感じの名称の‥ どこか  87年前後か

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  最近・・ハンズ前で 統一系かと勝手に思っているキレイな男女 広告 勧誘のオダヤカな数人が佇んでいて

  数日前 離れたところから じっとみつめる    どなたかと 目が合う

数年前 “自灯明”というあかりを知らなかったのは 法道院からの勧誘の方方

  一度目は 芸術劇場前の広場  二度目は 4F パティオ

  声をかけてきたのは同じ人でしたが 何度お目にかかったとしても

  灯かり自体 が 異なるなら 通じない

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目の前に灯り 消えることのない それ

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わたしは それを みつづける

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4 CUSTOMA CAFE トキの ハカらいか 追記

  そちらでも やはり どなたかがクシャミされるようになり マスク姿に変身していた