ソクリョウ けい い

それをおこなうにあたり 何かが無かった らしい

  「それ」を ペーストしようとした のは 12:45頃ですが 

  「記事を書く」ボタンを押すと 小刻みに 上下にふるえたのち 黒く 暗くなったので

  閉じて 起動しまして 記入を と・・

 

急に 音などが ものすごく 喧しく なった ような  ドカンドカン ドスドス ガアガアと

  なんか。。階上かどこかで(改装)工事 ということか   それにしても

  (皮ふのほうも  それでなくても サイキン   なんといいま・・  アレで)(ヨルも さほど。)

 

どうであれ   あらためて こころみ を   

  前後も含めたほうがいい ということかもしれませんし

 

クロノメーター Chronometer    wiki より

  • 船の揺れや温度変化に影響されない、高精度な携帯用ぜんまい時計。
  • デテント式脱進機を装備した時計。
  • 天文台で精度検定を受けた時計。
  • クロノメーター検定協会による検定に合格した機械式時計。

名称はギリシア神話の時間神クロノスに由来する。クロノグラフとは名称が似ているが別物である。

 

 

 

木星の観測を熱心におこなったのは、経度の測定のため」だったらしいです

天文観測は伊能測量の表看板であった。地上の測量結果を天測によって補正すればよいことは、忠敬より100年前の建部賢弘たけべかたひろが唱えているが、実際におこなったのは伊能隊がはじめてである。忠敬も意識して天文測量とよんでいる。肩書きも公儀天文方を称している。 102

 

文化2年

四月二二日(五月二〇日)、伊能隊は伊勢の山田に着いた。伊勢神宮門前町で、山田町と宇治宿に分かれていた。四月二二日夜は、木星の小衛星の凌犯、すなわち木星に四つある衛星の一つが木星と重なる現象を観測した。市野、平山が深夜から観測をはじめて夜明けになったという。伊勢に八泊した。もちろん内宮、外宮に参拝する。 101

 

「つぎからつぎへとあらわれる星を観測」するのは

「なかなか忙しい仕事だった」  屋外  目盛りを読む明かり 

 

  忠敬が測った恒星は、中国名なのでわかりにくいが、いまの名称でいうと、北極星はもちろん、小熊座、カシオペア座、獅子座などだれでも見られるふつうの星で、一晩に数十個測られた。数十個も測らなくてもと思うのだが、そこが徹底しなければ済まない伊能測量の特徴である。

  据えつけのときは、望遠鏡も南北を正しく合わせ、上下はキチンと垂直でなければならない。設置作業はけっこうたいへんだった。鍬とか、突き堅め用具、モッコに入れた土などを用意させている。

  これだけの努力をして測定されているので、伊能図の緯度は確かである。しかしながら経度については、クロノメータ(経線儀)がなかったので不正確である。北海道・東北と九州南部は東偏している。 104

 

木星の観測は頻度が少ない)(天候が悪いと同時観測は成立しない) 104

(精度的に使えるのは二ヵ所しかなかった)経度は観察できなかったといってよい 105

 

  不成功だったが、経度観測の作業はたいへんだった。垂揺球儀には、振り子が一往復するごとに一刻みすすむ文字盤があり、100万回までを表示できた。一日に約5万9000回振動する。数日前から子午線儀や象限儀を設け、垂揺球儀を動かして太陽の正中時刻を起点として、翌日の正中までの時間を垂揺球儀の目盛りで測って一太陽日の長さを知る。直前の太陽正中時間から日月食のはじまる時刻、終了時刻を垂揺球儀の目盛りで測って、江戸、大坂の同時観測数値と対比しようとした。測食定分儀は日・月食観測のとき望遠鏡の先につけられた。食のすすみ具合がわかるよう目盛りがある。

  非常な努力がなされたが、伊能図の経度は天体観測による補正ができなかったので、道線法(測ろうとする経路の距離と屈折角を測りながら進む測量法)、交会法(目標の位置を確定するため二点から方位を測る方法。逆に目標の位置が確定していれば道線法で測った場所から方位もチェックすることで、精度を確認できる)の精度の範囲を越えることはできなかった。 105

 

【尾鷲付近の難所を測量、心得触れに忠敬怒る】 105~

心得触れ…いまの言葉でいえば「対応マニュアル」 106

たぶん、忠敬は二四日に心得触れのことを聞いて全面否定したのだろう。 107

伊能忠敬の歩いた日本』1999 渡辺一郎