ショカン的空間

じょうど式

 先日の検査時にも控えめにお伝えしたのですが、春から懐かしい痛みがあり(まだ結果は伺っていない段階ですが)、内診担当の方は一時期のものではないかと仰っていました。

 再浮上を繰り返す件では、改めての擦り合わせ、となっております。

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  1988年(昭和63年)11月25日夕方
  一1989年(昭和64年)1月5日
           🌫🌫🌫🌫

 以前「4月1日」というタイトルで掘り起こしましたが、糸口、引き出せる物事、日にちの記憶は無いものの、既往症などを記入する折りにも、その辺りのことを。

 かつて永く持続した、尋常では無い類の感覚、というだけではなく、動かないどころか、の、現状を説明するうえでも、それほどまでにわかりやすい喩えはございません。このひと月くらい、皮膚がまた、ということも。

 一部の、一地域の、特定の、一民族の、等といった擦り付け、そのような風には、勿論、とらえておりません。遠巻き、連携、あらゆることに躊躇の無い方々で、分け合ってゆくという。図式。

 昨日、あたかも「闇」から「光」への諸諸の譲渡がおこなわれているかのような、そんな目の前のふたりでした。楽しそうに会話しているだけなのですが。

 本来、背負うことができない物事を、無理矢理、というのは、‥入り込めるとでも思ったのでしょうか?変わりゆく二人の表情を見て、浸透すら不可能であるさま、降ろしたあとに遺るものが無い道理を確認いたしました。

  🌫

  (睨まれて)
「光」に頼るしかなくなるようなのですが
足りますかどうか?

(お相手は程程に)
「自愛」「研鑽」他 制限制約の無い
可能性をもとめて過ごされてゆくことでしょう