「こだまでしょうか?…………」

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(和庭園の池/8.15)


〜18 (2021.5.21 間隔調整など)


窓にガラスを入れるという採光のし方は
ポンペイの遺跡や 3世紀までに建てられたといわれるローマの邸宅跡などにも見られ

その頃のガラスは原料の純度や熔融温度が低く
平らな石などの上に流し出していたため
かなり厚く 透明度もあれだったと思われ
(さらに) 徐冷も不十分で壊れやすく 小さかったし
値段も高く ごく一部の人の 一部の窓で用いられ

ある程度の量産(は 7世紀頃) (クラウン法ができて)
(貴族や豪商の家 教会で) 窓に入れられるように


日本では大正の半ば過ぎに板ガラスの国内消費量が
急速に増えたらしく

明治末から大正初期 引窓や腰高障子の一部に
大正末から昭和初めに外回り(ドアや窓)に

1907年 旭硝子株式会社 設立
手拭き円筒法で板ガラスの生産開始 量産の最初


17世紀末 単ロール鋳造法 フランスで開発
金属盤に流し込み 金属ロールを転がし圧延 磨いて
大きなものも可能 磨き板ガラスと鏡の製造で優位にたつ

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(春日通りの旭硝子売店ショーウィンドウ/8.15)


板ガラス 単板ガラス

人工玉吹法/クラウン法


(スクリーンやカーテン類も展開)

メモ…
・Material Journey/建材ダイジェスト
…紀元前3000年頃のエジプト第1王朝時代まで遡り…装飾用…ビー玉を身に付けるイメージ…
…建材として…1世紀頃の古代ローマ時代…ポンペイの遺跡…嵌め殺しの天窓…
この頃は砂を固めた鋳型(いがた)に、溶融ガラス(溶けたガラス)を流し込んでいました。
透明度は今に比べれば低かったでしょう。
しかし当時としては、部屋を密閉しながら光を取り入れること自体が画期的だったと考えられます。
https://kenzai-digest.com/glass-history/

・日装連
www.nissouren.jp/laboratory/laboratory_detail/1377870985507bebeb1f285

・(田島硝子 ロックグラス 富士山)

・「ガラス製の骨つぼ」
https://www.afpbb.com/articles/-/3062223?cx_amp=all&act=all&_gl=1%2a130pk42%2a_ga%2aR0hmTWgyb05JNmU4R1A4bWdnWG1CNlNGSU1LcDFuM2NfQjFoak45ZXNTS0ZUVVdORzZhaER5OVBDY0ZZQUdXdQ..
…メモ


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(春日通りのカフェ ビー玉 境界/8.15)



先日の どこかでの複写(紙)につきましては
これから みる か どう か と いう ところ で‥

‥因みに

…//sitereports.nabunken.go.jp › ...PDF
Untitled
佐久平出土のガラス小玉については小泉好延氏にそれぞれご配意を得てご教示頂き、また工稿も賜った…

これは あけられないですね → あきました
虫眼鏡用意するか 画面を求めるか

普通に拝読 547/600 ほか
読みといいますか‥難しくて 勉強も必要
(指の運動に行かないときなどに) いたす

そのまえに http://blog.kuruten.jp/ecru/432549
(「まえ」というか 本筋? すごいつかれ)
(朝は物凄い眠気で) (肩は痛いし 遮った?)
(風にあたり とばします) (とびました)


(いまさらですが 同一人物でしょうか?)
「東大アイソトープ総合センター」(停年)(平成12)
「市民エネルギー研究所の小泉好延さん」2001
「武蔵野文化財修復研究所顧問 小泉好延氏 」2005



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ラクウショウのあたり/8.15
(画像右寄り なか で) ちゃかぽかしていたのは
ショウボウ署系のチャカポカ

(茶菓 茶化  蓮根)

  ・

(昭和の頃まで?) ベンジン/benzine という名のままで 家庭でも普通にしみ抜きをやっていた

名称は変わり 変えられて 同系(同じような物)で

汚れ落とし(しみ抜き) つや出し 等他
メンテナンスでよく使われている物が (高騰らしく)

(いろいろ手をだして と言われて やっていた)
(何処かでは) ムース状の別の物に変えます と 告げられたのが 7月初旬

何かの(仕上げのための)量や使い方 等など 全て変更となり (まだまだ試行錯誤段階 といった感)

(先日のスタッフさんには御活躍をお祈り申し上げ)

(昔 着せ替えやカスタムの趣味 小商いのほうを見)
大人になってからも人形の世界から離れないという
(ずっと持続される方々に) (接したときに) (困惑)

いつまでも苦痛になられない不思議さをみまして

(記憶を) 消すこと 形を変えたり 他 色々により
(それぞれのどこかにうもれ……)

生きることや なにかが可能になるケースも 等と

(でも それだと まわりは) (こまりますから)
(それはもう困ります 大変でしたよーーーー)
それなりのあれも (あれしなければ) とも

(大なり小なり 全員で行なっているとしても)
(それなりにあれしなければ と)

(記憶等他に対しての姿勢といったことが問われ)

指針となる方々が おられます

個々の のぞむ なにかは   誠実さの割合とか
(透明度 信頼感といったものにも沿って)
本来は そのまま そっくりあれなのでしょうけれど

他(人)への介入の中身 度合い等というものも
(多々) あるでしょうから 希望に沿うといっても
(逆に(介入を)のぞみあうケースもあるわけで)


霧に包まれた…
(ご本人発信は8/5) 8/14付
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/16928420/

16にお昼をおごっていただく ぷち…迎会
(初旬 同日に「員」さんもはいられて)

普段お昼食べる場には大画面があり(ついていて)
窓からは 宮(の上部 屋根)なども見え

大昔 北海道のお山でも一緒に滑り
船酔い旅 島への計画などをたてた方など
その他 ‥‥ おもいださないこともなく