(見学)
(略)ホスピスって看板がなければこじんまりしたat homeなふつうの病棟である。なぜホスピスという名前をつけて営業しなくてはいけないのだろう。病院の設備とかの基準や予算、補助金の関係だろうか。そもそもhospitalとかhospisとかいう言葉の語源は、確か伝染病が蔓延した時代に感染者を隔離するための施設からだったと思う。
(ふつうの病棟)
「私自身が告知をうけていないとおもわせていればまるくおさまる」
他人のことに介入したがるのはどの世界でもおんなじだけど、ひとの心やいたみのほんとにわかるひとだったら、いたみをかかえるひとに多くを語らせはしないだろう。
11.28(抜粋)
ホスピスにいこうとおもう。ひとが一生のうちで一度しか体験できない機会だから、ちょっと興味がある。(略)病院を舞台にした映画やドラマはたくさんある。そこに登場するのは、医者と看護婦と患者とその家族というのがおおよそである。そしてストーリーは、病気や死をこっけいにあつかうのは不謹慎という社会道徳と、人は自らの病に前向きに立ち向かわなくてはいけないという教育的立場にたったものが多い。つまり、あまりお金をかけていないテレビ番組をみすぎると、成功率がわずかの危ない橋をわたることが勇気だとおもってしまうのだとおもう。この場合、ひとつの決断をくだした後は、自分のやることはすでにレールがしいてあって、路頭に迷うことはすくないとおもう。でも、危ない橋をわたらないひとは、自分にとって納得できる生き方が何かを自分でつくっていかなくてはならないとおもう。勇気ということばを使うとしたら、医者から見放されたあとだとおもう。
私のみた入院中の風景のなかには、医者はエキストラ程度しかでてこない。診察結果とその基礎データが自由に引き出せる機能のついたロボットでもいいとさえおもう。ただし、将来予測となると、プロ野球のペナント予想が毎年はずれるのと同じように、ひとにかかわる予測は天気予報の半分も当たらないとおもう。ひとの病とそしてそれを治癒させるちからは、コンピューターのシミュレーションではうまくいかないだろう。(略)
病院の中には、人文地理もしくは社会学の卒論のテーマになりそうなネタもずいぶんころがっている。3K労働に従事する外国人男性や首都圏から地方都市までを網羅する風俗業の東南アジアの女性たちのはなしである。このごろは、エイズの拡がりとともに、社会の底辺とか裏側を描きたいという取材者側の意図でつくられたものが多い。しかし、病院とくに付添い看護婦の必要な老人病院においても、外国人出稼ぎ労働者の実態がある。病院で付添い婦として働く日系ブラジル2世たちだ。病院で患者が私費で雇う付添い婦を必要としたとき、それを紹介・斡旋してくれる「* * 会」とかいう名前の団体が地域毎にいくつもある。付添い婦をやりたいひとは、その会に月々3000円とか6000円の会費を払って仕事をもらう。会費の他に収入に応じて会にリベートを支払っているみたいだが、そのしくみはわからなかった。出稼ぎの人は、会で荷物を預かってもらい、その預け賃は別に支払う。仕事につく前に研修をうけるひともいるらしいが見よう見まねでおぼえてやっているひともいるらしい。
斡旋団体の中にはかなりの営利主義で、不当に高い会費を請求したり、何かしらの理由をつけてリベートをとるところもあるという。日本人の場合、なるべく会に吸い取られるお金の少ない会をさがして、病院内で他の会に入っている人から情報を集めて移っていく。すると、自然に、暴利主義の会には、日系ブラジル人を主とする外国国籍者の割合が多くなっていく。彼女たちは、自分たちがかなり搾取されていることを知っている。しかし、日系人といっても、やはり社会制度の違いと言葉の壁が厚くほとんど無抵抗の集団である。法律の風穴で働く身の上は、職種こそ違え、風俗ではたらく女性たちと共通点も多い。ただし、風俗で働く女性たちの多くは20代の若い女性であるが、付添い婦をしている女性たちは40代が中心で、夫とともに日本に出稼ぎにきている人もある。
家政婦の斡旋団体から派遣されてくる付添い婦の収入は、患者1人をみる場合1日10000円、2人一度にみる場合15000円が相場である。重症患者は割増し料金がある。1カ月1人の患者の面倒を見て病院に寝泊まりすれば、斡旋団体に納める分や病院での食事、入浴、寝具などの貸出費用を差し引いても、月収20万円はかたい。患者2人をうけもてば、月収35〜40万円だという。40代の女性が得られる収入としてはかなりの金額である。病院に寝泊まりしていれば、家賃、光熱費はいらないから、実利益が多いことはいうまでもない。
さて、本業はといえば、日本にきて3か月から半年程度で、患者さんの介護に必要な用語のおおよそは使いこなせる。病で口の悪くなった患者さんやその家族にけんかをうられても、言葉の数が少ないから、売り言葉に買い言葉になることがなく、はたからみていると平和である。特に、二度の大戦を経験している老人の患者さんは、どこか植民地主義を引きずっているようで、自分が介護を受ける弱者の立場で有りながら、言葉の端々で自分の慈悲深さを自慢し、結構いい気分を味わっているようにみえる。しかしながら、院内感染や労災一般に対する保障がどうなっているのか、病院と家政婦斡旋団体が癒着して、感染性の疾病をもった患者さんを文句を言わない、あまり言葉のわからない外国人付添い婦に押しつけているようなことはないのか?と、不安になる。
これからの日本は、さらに高齢化社会がすすみ、身内で看護をしようと思っても介護される老人の方が介護する側より数が多くなってしまうだろう。病院の看護婦不足は改善されず、今後、外国人の付添い婦は、その法的取扱うんぬんにかかわらず、確実に増えていくと思う。不景気で、建設現場や工場ではたらく外国人男性労働者が解雇されたり、クラブや風俗のお店に閑古鳥が鳴いたとしても、人は確実に年をとり老いて行くから、老人病院はひまにならない。わたしには時間がなくて、確かなききとり調査も統計的数値もはじきだせないけれど、とても興味深いことだったので書き留めておこうと思う。(略)
11.29
ピンクや うすむらさきのスイートピーが好きだったというその方は
きっと 花の手入れも 欠かさなかったのだろう・・
海辺でのほほえみをみたときに
目についたことのひとつ
毛髪量が近かったのでは と思われる
長さ 毛穴の痛み 首にも負担・・・・・ などなど
近くにいたら 話がはずんだのでは・・ と
ハズンデイルとも 感じられ