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偶像… 呪いのひとがたの起源は縄文


「呪術が日本の政治・社会を動かしていた」

 


『すぐわかる 日本の呪術の歴史』2001
武光誠 監修

縄文時代  紀元前1万年頃〜前4世紀頃
女神像か形代か? 土偶
呪いのひとがたの起源は縄文にあり

 


破壊のための異様な人形
日本各地の遺跡から発掘される土偶は多くの奇妙な人形

日本各地の遺跡から発掘される土偶…
謎に包まれた奇妙な人形

まず形状が異様

多くの土偶は乳房が異常に大きかったり、耳・鼻・口など顔のパーツがなかったりして、人間のリアルな像にはほど遠い。縄文土器に見られる造形力からすれば、もっと人間らしい人形を作ることもできたはずなのだ。

さらに不可解なのは ほとんどの土偶が手足や首を失った無残な姿で発見されること

1000体以上の大量の土偶が発見されながら、一つとして完全な土偶が見つからなかった遺跡もある。しかも構造をよく見てみると、最初から破壊しやすいように製作されたものが多いのである。

縄文人にとって土偶の製作は労力や時間のかかる仕事だったと思われるが、なぜ苦労して作ったものを破壊したのだろうか。そもそも、土偶は何を表現したものだろうか。

 


人形呪術のルーツ

一説…土偶の破壊は農業の始まりと関係が

この説では土偶の腹部が極端にふくらんでいることに注目し、土偶とは母なる大地の生産力を妊娠した女性にたくして表現したものと見る。
その裏づけとなっているのは、殺された女神の死体から作物が誕生したという神話である。このタイプの神話は世界各地に残されており、日本にも『古事記』に須佐之男命によって殺された大宜津比売の死体から五穀が生じたという記述がある。かつては縄文時代に農業はなかったとされてきたが、近年は原始的な植物栽培や稲作が行われた形跡が認められる遺跡も発見されている。とすれば、縄文人が土偶の破壊を女神の殺害に見立て、作物の収穫を願って大地に霊力を与えようとしていた可能性も否定はできない。

その一方で、土偶は人間の身代わり(形代)ではなかったかという説もある。この説では土偶の破壊された箇所を、病気やけがをしていた箇所と見る。そして破壊することによって、治癒を祈願していたのではないかという。現代人でさえ「風邪を他人にうつすと治りが早くなる」などと言うのだから、縄文人が人間の苦しみを土偶に転じられると考えたとしても不思議ではない。

ほか 祖霊崇拝のため 安産祈願など 諸説あり

いずれにしても単なる飾りや玩具ではなく 呪術的な行為に使われていたという点で一致

人間に似ているが人間ではないものを表現していると考えられている

土偶という不思議な人形は弥生時代の到来とともに歴史に置き去りにされたが、人々は人形を呪術に使用することを忘れなかった。すなわち「丑の刻参り」の藁人形や、神社の「ひとがた」に形を変えて、人形呪術は綿々と続けられていくのである。
P28、9

 

 

土偶の形態は時代・地域などによって多種多様

容器型土偶:体内には乳幼児の火葬骨が納められていた

(縄文晩期/神奈川県中屋敷遺跡/大井町教育委員会


ハート形土偶(縄文後期/群馬県郷原遺跡/個人蔵・東京国立博物館保管)

十字形土偶(縄文中期/青森県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室)

 


人形=人間のひな形・分身
・祓えタイプ…人形(ひとがた) 形代 購物(あがもの)
・崇拝タイプ…偶像
・玩具タイプ…天児(あまがつ) 這子(ほうこ)
・呪いタイプ…藁人形 厭魅(えんみ)

※大宜津比売:須佐之男命が食物を求めると、比売は鼻・口・尻からご馳走を出したので、命は穢らわしいと怒って殺した。罪を犯した命の末裔である人間の労働の義務を物語ると解釈できる。

 

 

 

 (3.29〜記入 体調などにより中断していた)