2016年10月3日 8時57分


 かつて 会話でも発したのだが (わりと) 決めることはできないけれど 

み続ける 調べ続けることで動くものもある というか・・  自然に自ずから動く と 

 

そのあたり  その程度 で  

 

いままで (それは)‘罪’(だよね) と 何度も記入したかと思われ

でも 何も無い  がっかりするほど  シーンと静まり返る感じ(は 別の場でよろしく) 

 

実際に 動いてしまう 動かしている 効力 実行力 のあるような  

それらを断定する  断言できる‘官’  ‘職’の人は よほど 腹をくくってのことなのだろう

 

‘特定’をみすえたいときに  いつもうかぶのは  奇妙な‘要領’

strangeすぎる‘足る’の中身は ‘藍’がひと月分くらいか   それとも‘娃’ ‘曖’ か

 

‘i’が イジョウすぎて・・・・

 

 

わりと 地道に働こうと思っていて    諸諸針穴系 ぎりぎり 探す感じで

 

ハナをつぶして (イキの通路を変えたり と) ノドにはりつく とか

そのカタマリの行方は いずこ     おそらく ‘i’ ?    そこも‘外界’かもしれず

 

で?  ‘アルプス’系     

‘ハンタウイルス’ は …略… 結合を介さず    すみやかな 出戻り

 

 

 

  * * * * * * * * * * * *

 

 

2016年10月1日 2時21分
スイホウ

年端の満たない者共が  騒々しく涌き出し 蠢く‘秋の夜’

(年歯もいかない)

 

お決まりのパターンに則ってしか 動くことができない者たち

“秋の夜長”の静けさ  情緒  情感
ゆたかな過ごし方をみつめることが‥あるのだろうか

 

ある『ハッケン者』の道より
 * * * * * *

東京の中野区を、西武新宿線という私鉄が走っている。その沿線の野方という駅から環七通りを北へ十分ほど歩き、丸山一丁目の四ツ角を右へ直進すると、道はほどなく、この一帯を蛇行しながら流れて神田川に注ぐ妙正寺川という川を、直角に横ぎる格好になる。そこにかかる橋を江古田橋という。

(2.26事件 昭和11年)クーデターの前後 今は舗装道路になっているその丸山から江古田大橋へ向かう間で 大きな水道管を敷設する工事がはじまった

今のような最新式の機械を導入した工事ではなかったが 相当大がかりなもので あたり一帯は掘りかえされた土がうずたかく積まれてあった


若い人にも ぜひ一度 その植物化石層のあるあたりを歩かれてみることをすすめたい

江古田の植物化石層
この地層は (当時の)気候風土 地形 のみならず
「日本が大陸から離れて列島になる寸前のありさまを示すものだ、と私は思っている」

関東ローム層との関係から、この寒系植物化石の地層の直後に堆積したと考えられる千葉県館山市附近の沼の地層は、暖かい珊瑚礁の海の生物の化石を包含している。なぜ生物にこのような極端な移り変わりが生じたのか、それは地学的な大変動があったからであり、その大変動こそが大陸から日本が離れたことを示すものだ、と私は思っている。

    *

昭和22年11月4日 かたくなに主義を守り通した裁判官が
栄養失調で亡くなるというできごとがあり

前の月にも 警察官が同様にあの世に旅立った

 * * * * * *

 

 「フランク・ロイド・ライトは1917〜1922年日本で生活」(DVD)
療養のため 急ぎ離れた とのこと


翌年‥大災害  大がかりな実験でもしていたのだろうか
映像をみて そのように思わない人間がいるのだろうか

焼け野原   帝国ホテルの耐震性などが証明できたようす


その贅を尽くした建物は 後に多人数が箱詰めできるような立方体の建築に移行するため

破壊された

 

‥予算が膨らんで とか    簡単に壊すところとか

 

(間に挟まったまま ) プチプチと弾ける願望でもあるのだろう

銛 は 海で使っても 大袈裟にアラシそうだな

 

 

その レットウ

日本海’と呼ばれる域は ‘水疱’性の何かのようにもみえ

そちら側は ‘断ち切り’  
あちら側は ‘しわ寄せ’


‘浄化’装置は ‥      (各アルプス)

‘災害’の準備は念入りに 怠らず
‘優雅’に移動しては 何かの成功例として ‘大売出し’


‘水泡’の中で ぬくぬくと

 

‘おこす’‘おこした’‘おこしてきた’

‘発案者’たちは 一方で ‘おこす’ことはない
それは くすぐるような “プログラム” なのだろうか?

‘浄化’と名づけられた  ‘  ’行動  


‘泡’たちは ゆっくり   あるいは  一斉に  ?

‘道具’と化したまま 望み通りに 疑問を いだくこともなく


‘発案者’も 同様なのだろう


いずれも 内容に関わらず 全て“自発”扱いなのだろう
これまでも そうだったように

  * * * * * *

 

 

階下のことは見えるので  

 

ほかのことを記入したくなるのは・・どうしてか そこらへんは

もう   わずかに残る ‘自発’的感覚 としか いいようがないような

 

だれか  なにかを   まるで特別なもののように 仕立て上げる やつ(ら)

 

ささやかなものを さえぎる   わずらわしさ    そこを特定するかのように

 蝨つぶし   に あたった・・ というのは   団体かどうかは みていない面もあり 

 

邪魔をしている ‘  ’が ジャマ

 

 

 

  * * * * * * * * * * * *

 

 

2016年9月30日 11時19分

ぼ け っ

 

ボケ?  アルイハ キオクッテナニ


(緒)「説」以前に 
‥何を見て(思って)(浮かべて)記入したのか?

何か違う地名を書いたような‥ 「出雲」 とかなんとか

設定によれば  そこは「妻」の「実家」らしい‥

そのあたりの記述を

どこかに「弥生」を あれだったかもしれないおカタ(マリ)
の ひとり

『学問への情熱』から (しょっ)引く
 * * * * * *

(大正12)1923.2.3
『目黒の上高地に於ける先史人類遺物及文化の化学的考察』

「私の病はぬきさしならないものになっていった」

(ある日医者から)
「これ以上化学研究をつづけると、命は保証できない」
(と宣告された)

「肺がぼろぼろになっていたのである」

「2年間懸命に勉強」「ようやく就職できた職場」
「3年間、おこたりなく勤めあげたその職場」

窒素研究所に退職願いを出し

(「結核療養所に入るお金をもちあわせない私は」)
しばらくして長野県 別所で「むしばまれたからだをいやす」

「ともかくも空気のきれいなところへ移らなければならなかった」が

「血のつながりのない」家に「長く厄介になれるわけがない」
しかも「伝染性の病気の持ち主」

郷里臼杵に帰る決心

志を立てて再上京から6年目の大正12年8月31日、東京駅発の夜汽車に飛び乗らなければならなかった私の心は沈みきっていた。

姫路で途中下車しようと、ふと思い立ったのは、明けて9月1日、その汽車が明石駅を過ぎたころだったと思う。

急に先生(後に「妻」)に会ってみたくなった と

住まいは 「姫路駅の東北およそ1キロ」 城近くの「五軒邸」町

その9月1日午前11時58分。この瞬間から東京・横浜両市の400万人の人びとは奈落の底におちることになった。

「知ったのは 先生の家に着いた翌日だったと思う」
(新聞の号外)

「東京にのこしてきたかけがえのない女性がいた」
(上野保線事務所にいるとき知り合った)

「近い将来結婚することを約束していた」が
「彼女も胸を病んでしまった」

「周囲からの意見もあって」「ひとりで臼杵に向かったのである」

「彼女はどうしただろうか」
「が、ちょうどその日」先生から「意外なことを打ち明けられ」

「恋人のことを気にかけながらも」 「いいですよ」と

翌年の冬 「十歳上の先生と私は結婚した」
「私が入籍」し 名字が 変わった


 * * * * * *


シュウソクのドラマをタダヨワセル …グループ


 * * * * * *


午後 小部屋にて少々の追加をしていた

別の場からの連絡待ちで電源を入れていたところ
14:23 メール送付先の増殖組から 電話が入る
(昼間にもかけられる ようす)

電話ができない場所にいることを告げつつ
いついつメールを送りましたが?と聞けば 通じていないようで

どうやら 「スタッフ相談室」メール窓口は機能していないらしい
(さわりを伝えて・・ 続きを読んだかどうか?)

なんとものんびりとした方  遮られたポイントをながめながら
一分くらい話してしまった   会話禁止の場所で

話したくない  関わりたくもない  でも 隙間に入り込む


踏んだまま 気づかない  気づいても踏みつけたまま


~一般的「低レベル」しかも 「超」がつくそれは
 私にほどほどの体調をもたらす因のひとつ らしい~

このような状況を 万人が我慢できるとは思えない

「自律改革」などと 悠長に掲げている間にも・・・・ 

そうとらえることで なんとか しのいできた (という面)
(ずっと怒っていれば 伝わった?  そうでもないのでは)

だからといって 怒りが消えるわけでもなく そのまま そこに ある


このあたり よく「家族」系にも勘違いされてきたのだけれど
満足しているわけでもなく 膨大な怒りをかかえたままで

サラには なりようがない面で 全くおさまることもない

座を奪って どかっと座ったままの方々が どうにかしないと
起こしてきた方々が なんとかしなければならないこと

(災害などの)情報を伝えるだけで 済むとでも?

誰かが起こそうとしているのを 手伝う ということなのか
理解しがたい     ゆるしがたい

それらと 体調などを 離した   放した だけのこと


 * * * * * *


建物の管理人が 騒音に対して ナーバスなのか
赤太線(フリーハンド)囲みの記事を 貼った

それはミンパクについてのことなのだが

 

このあいだのアレは。。本当にひどかったのだけれど

たぶん旅行者が泊まっていたわけではないと思う

その件に関しては この部屋からは 苦情は入れていない

 

 

 

  * * * * * * * * * * * *

 

 

 

2016年9月29日 11時13分
さっぱり

「昨日」は 何処


? 。。 整理してみよう

確かに 「窒素固定(法)」検索したら 一冊出た
(直良氏の著作は たまたま 数冊収蔵されているようす)

記憶のつながりが‥変

あー 逆か


(ここ数日 日中も携帯の電源は ずっと入れたままだ‥)

昨日の午後 麻糸を編みはじめて‥

場によって 編み図やジグソーパズルのように表現されている

DNAタイルの計算結果が描くパターン
“シェルピンスキーの三角形”非周期的なフラクタルの模様
(アルゴリズミック・セルファンブリの例)

を思い出し 手が止まる

数少なくなった資料をあたった(別の場所にあった)

 

‥そうそう その資料の中の 中野の発掘モノだ

「昭和39年,直良信夫博士によって最初の発掘調査が行われて以来,実に20年が経過し(略)」
『中野区平和の森公園北遺跡発掘調査報告書』

予想を越える遺構・遺物の発見があった と(「弥生」)

 

編み図のようだとは 前から思っていたほうは
そのようなことを意識するとしても 柄を編み込むなら 片手間ではできない

図案化や 計算も要るし じっくりだ

などと 手を休めた

 

直良氏 書中   (森本氏からの手紙には)
「かならず すてきな自作の和歌がそえられていた」
というのも目に

かなり カナリ ひいて ヨム感じ

 

「長女がホウカシキ炎という病気で日赤病院に入院していたときに看病しながら論文を書いた」

パラパラしていると見覚えのある「ホウカシキ炎」という文字があり‥

そういえば まだあるかも と さっきの少ない資料の中から見出す

2011.8 初旬 中野ゼロホールにいる半日の間に
一部が 突然 ぷくっとなった件‥

頸部MRI
「左顎下部皮下組織の腫張脹とSTIRでの高信号域が見られており 蜂窩織炎の所見」その年の8.9かも


そんなのを見てから また パラパラ

少しして ‥ふと‥ 髪を整えようと
。。電気式の道具はどこに? 。。さっぱり分からず

(これはワリと使うやつだから忘れないように と念をいれて仕舞っている 最近なのだが)

ハサミ2種で作業‥サッパリ このほうが手入れ含めてスムーズかも

 

(また パラパラ)

そして 検索だった


土層や肥料のほうにも行ったりするのかもしれない ?


そうそう きのうどこかで 

沖ノ鳥島映像・・ なんだったか  30分位×7枚組みの
3枚をみた  個人が1億寄付して製作された とかいう

海景モノを借りたつもりが 説明モノだった。。


同島の歴史や周辺海域の生物資源 保全の取組などを映像でまとめ
インターネットで配信 DVDの販売(東京都庁第一本庁舎3階)

奇跡の島/沖ノ鳥島映像ライブラリー  毎日映画社  坂井溢郎・喜和子/H18.5.26寄付

 

・はじめ スペインの船がその島を見つけて “       ” と呼んだ と

・台風で一夜にして砂浜がつくれる らしい  他にもいろいろあれなのかな

 

この映像は 独自目線で それぞれがみるのだろう

 

 

手紙 メール  記号のような文章 等等
「感」がわかない という 特有 特異ツール

そこには 何かを添えられるケースも


今日午後1時過ぎ
「折り返し」をしていない というか できない件で 

メールを送付  電源切りたいので

 

 

  * * * * * * * * * * * *

 

 

2016年9月29日 5時21分
以心

水田に落電すると生成されるものがあり

それが「稲妻」の語源     ‥「神鳴り」

活かしてきた はず  なのだろう

 

「窒素固定(法)」を調べていた
(それには「軍備拡張」も ついてくるようだ)

「(化学的)窒素固定法」 で 本の検索をした


その研究を続けて 体調を崩し
1923.8.31 大災害の前夜に 脱出

という体験をされた 直良信夫(『学問への情熱』明石原人発見者の歩んだ道)

それだけが出てきた

結核療養もされた著者は「日本のキリスト教発祥地」でもある臼杵の出身

(以前 遺跡関連の何かでお見かけしたのだろうか)

 

その書には 重なる 畳かける?既出の名称がいくつもあり‥苦笑

「悦」「心酔わしめるのに十分な」「陶酔」「うっとり」

そんな表現も見られた


この方は ‥数行では

「明石原人」wikiの頁だったろうか‥ 変な現れを見たような

捏造というだけでなく

(学)歴を振りかざす方がいたり (経)歴詐称などといった振る舞いがあるように

中には熾烈な思いをどこかに入れ込みたい方も?

考古学 遺跡

物事が複雑に絡みあって。。


    ・・・・


昨夜 9時半にコールがあったよう(留守録なし)
いくつかの電話番号のひとつのよう‥前回より1分早く 違う番号

やはり 強い眠気があった‥
電源を入れていたが 気づくこともなく
今回は痛みのようなものはあまり感じられない

もし会話することがあれば
こちら側のネット環境などにより 業務以外での必須事項に
対応 適応できない点が少なくないと感じ(無理)

こちら側の生活サイクルによる理由とか
あるいは こちら側が時代に逆行しているため

などといった説明になるかと思う

 

いくつもの場や職種を扱う会社

やり方は様々だろう  


面接自体も特異的

小スペースにも詰め込みたい  伝えたいことも 詰め込みたい
書類は流れの途中であっても きっちり押さえたい

拡く網羅された就業規則の書かれた紙
小フォントでぎっしり数枚

その場では読めない


就業中ならば夜にも連絡が要ることもあるが
この段階でのその時間帯の(営業時間外の)電話は非常識であり
使用人に向けた連なる規則の縛りをみれば

天秤 片側下に着く

ある種の体験や経験の積み重ねを避けてきて
(の 気づけない手落ち)

あるいは (囲い込みの文化)
ストレスやダメージを与えるような扱いが主流のため
あえてそのように行っている

そんなことが浮かぶが

いくつかの場や職種で ある程度の 使われる体験(や修行)が
なければ 会話がなりたたないと思われる

そこらへんを知らないで 仕事があるなら 何でもいいだろう
とか は 話にならない

仕事以外での 日常生活での(細かな)経験があまり無い
他人任せ なども 論の外

「職」系での こうした私の態度は 今までは なかった事柄で
「折り返し」をしていない というか できない ということも

はじめて

 

「僅かな取りこぼしもなく」というのは どこでもそうだろうが

ロボットのように事務的に素早く 細かく聞いて
細かく相手に負わせる  押しつける

そちらは 極度な押し付け体質の表れが そこここに散見され

不自然な印象を振りまいているというだけでなく
「人」として扱われているのかわからない

理解に苦しむ

 

一般的「低レベル」しかも 「超」がつくそれは
私にほどほどの体調をもたらす因のひとつ らしい

手芸もはじめた   
超スローペースの作業 は いままでなかったことだ

 

 

 * * * * * * * * * * * *

 

 

2016年9月27日 20時21分
サイカイ 

 

駅傍のスーパーに (21)移動されてきた店長は
「新 」という地からだと 偶然 見

そこは 同日 別件で検索していた
そこには 霊岸島 という名称があるのをはじめて知った(霊厳寺)


その流れ

     ・


アルファベットの中身は 「大聖」何とか で おいおい。。 と 
つっこみ   心の中で

名称や名義 表記変えて ミソギが なされるはずもなく イメージ払拭 刷新など 
体よく 増収 増益などを図るための方法のひとつなのかもしれず

 


新川に昨日  登録に

すると
その件は 「アサカ急送」の依頼で‥と仰った (方は 同類のようには思えない 感覚)

またか(まさか) と 慣れ? 平静のまま頷いたりしていた
これはもう ヤラセの劇 風・・ 参加するわけにはいかない

 26か 地図を見て その「田島」の左の 「岡」  ・・ああ と

 80年代半ば過ぎたころ? (和光市のアパート)となりに越してきた家族連れは そこからと言っていた

 まだ 「除川」組(建設)のことを知らなかったころのこと (以前そのあたりに と思ったが 「新座」か)


運送系の利権絡み か

ア  といっても 色々だから などと調べると

やはり どうもお馴染みの地のあたりの会社のよう

夕方 その件の勤務地近くの線路で発煙があったようす

トビヒ か (ノロシ か)?

(車中では ぴったり隣の‥ずっと咳き込み)

 

関わりたくない‥勤務前後に携帯電話使用が増えそう など
引っかかりも少なくない

夜 眠気が強く 9時半頃にすんなり寝てしまう‥
おそらく その頃 5分後くらいに そちらからコール?

電源は かなり珍しいことに 入ったままで
でも留守録設定はオフになっていたようで

深夜(早朝かな) 特有の頭の痛み 不快感
(これは 8月終わりのズレのときにもあって 何だかわからないで
 変だと思いながら起きて 後でもしやと思うような流れ)

寝ているときに 何があるというのだろう?

そんな流れだと それっきりになるかもしれない
‥いただいたら 理由を述べるのだろうが

 

朝 近くの 広めの 人気のない空間で ベンチにゆったり座り
ゆっくりと いろいろめぐらせていた‥

‥ところ 横に 年配の女性がぴったり というより
むしろ誰かが座っているポイントめがけて?
いきなり座ろうとしてきた くらいの


驚いて

(唐突にどかされた形)

不愉快


立ち上がり 帰りかけ ‥引き返し 理由を聞いた

‥いやいや そうではなく‥

なぜ 用事のあるところにも近い
いくらでも空いているスペースに座らないのか

ということなのであって

そういうことをすると された側はびっくりしますよ と 告げた

謝っておられた

 

謝罪は大切なことだと思うけれど それだけでは・・ 口先

もっと大事なことを実践していただかないと 


今自分が行おうとしていることは 明らかに変だ と 認

識する とか

そこに誰かがいるのがわからないのか とか 
目に入っているのか とか

行うことで どんな影響を及ぼすのか とか   などだが


なぜ このような「当たり前」のことを記入しているのだろう

 

(ア  絡みの裁判)(ストーカー遺伝子)(片側のことも様様めぐる)

 

負の遺産

おいせさん とか 現代でも普通に口にする方々や
用語などは使わない けれど 関係者 取り巻き  同属 同族

半端な 見せ掛けの「奉仕」風物事で 
何か(正義)を振りかざしながら

彼是の(水銀)摂取 蓄積などを どのようにか コーティング

配り方も 昔と変わらず 甚だ迷惑

酔ったまま  覚めない夢を見たまま


散らかした方々が片付けないで そのように しかとして
やらなければならないように もっていく (自覚があるだろう)

(あなたたちが うっとりしたまま)行わせているのだ

何を いつまで うっとりしているのだ? 
いつまで やらせるのだ?   見て見ぬ ふり?


どかして そこに腰を下ろしたまま
礼を失したまま使用し続けて バーチャル浸り 

片付けることもせず 図にのったまま   

 

それと リング設定でなければ気がすまない輩 大迷惑

 

一くくりで 語りたいのだろうが ・・そうではない

「大昔」の 最近 
突然現れた とか 降ってきた とか   違うと思っていて

今と同様  

(術 秘儀など)(他者をわからぬように傷つけて) 奪うこと
突然 短期間で 変わる 増える ことを望んで 選んだのだと

選んだ人々がいる ということ
そのために ふさいだ物事    が そのまま


現状から説明できる物事も多い

 


体調を みてきたはずだ    説明も散散してきた

 


関わりはない

誰かの行いの理由を知りたいわけでもないし
不可解な目覚めの理由も要らない

こちらに回してくるものが 全く 違う ということ

返却

 


・・訂正    その糧で暮らしてはいない   食えない


それらの清算なしで ゆるされることはない

 

「セイフク」「ナリスマシ」「ヤラセ」「タナボタ」などなど
そんな 星    きっと   どこかに?

 

 

  * * * * * * * * * * * *

 

 

 

au