画像や映像 配信される物事は わからない面が多々あり
何とも言えない点なども 多々ある
(過去にとらわれ続ける特別なケース)
‥だけど と 先日 会話
(起こりかたがどうであれ)
あの日の揺れは 実際にあったこと
足元で 独特な感覚があったのだ と
あらためて 確認
・
最近 「部屋」人は ばつが悪そうにみえることが ちょくちょくあり
(八ヶ岳絡みの話題も ふった)
その人 ひとりで受け止められる 分量ではない
(そこも ねらい?)
ここに「いる」ことでの そちらの(八)‘塊’との 繋がりは 要らない
その頃 トルコ イスラエルでも 「ヤマト」人が
ちゃくちゃくと あれだったんだな
(記入していなかった「つくし(野)」は 20記入)
(2月か? 西口小部屋から 東武練馬に移動した日 池袋⇔要町間でのバス炎上
その通りは ‘乱歩通り’ ということを知った 20)
もう 偽善ファンタジーは 要らないのだよ
うすら寒い
∞ 我慢ならない ∞
・
2011年の あれは‥ あれも (仮に自然災害であったとしても)諸諸 ユルシガタイ
(災害)ビジネスも 益々盛んになり‥
‘特異な遺伝子’を持つ人たちは ‘楽天的’
あるいは 何事も無かったかのような
(責任の)押し付けかた
・
私 個人は その後 ほとんどを手放すことになった
あきらめたのではなく
生き延びるために そうしたのだ が
・
今も 災害のさ中に とか 始終爆撃 とか ずっと とか
それらが事実ならば
生死ぎりぎり
その日暮らしの形態は いたるところにあり…
・
だからといって 屋根があるから というだけで 満足しているわけでもなく
本当に 大変な日々だった
あのとき 「ヤマト」「日本」人は 何を思い
どのように過ごしていたのだろう
・
どうであれ 体調はこのあたりの それなりで
寝ているときに なぜ?
頭 激痛 だからといって 寝込んではいない
人気のない早朝 ゆっくりと歩きながらほぐす行為は (チクられることもなく) 自然(な舞) だ
部位や そこの状態は 自分にしかわからず調整できるのも 力加減も ‥自由に 踊っているかのような
動き 動かしかたは その日 その場でじっくり
近くのビルには バーのような手すりが いたるところにあって それも使って‥
それはそれとして
・
そのような痛みは しかるべき(発信者など)「丈夫」な方々のもとへ
・
(いつまでも というのは)
何かを持っていないから? 他にどんな説明ができるのか わからない
中程度までのキズはだいぶ回復したが 現場はカサカサ
小さいのは 減ること無く 日々増えている
それも 「平気」な トクイな方々のもとへ どうぞ
ささやかなものを奪い続ける者たちへ
・
ひとり の 覚悟 で やっていかねばならない人生だった
ひとりの中の 僅かな それ
あらゆる可能性をもって のぞんでいる