ひび われ

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撮影は8で 通路には 6か7に どこかから移動してきた 鏡系  

細い縦長型を横にして置かれている  ‥枠内の白っぽい一辺が上部

 

はっつけたのは管理人でしょう)張り紙-画像右側 には 6とあり 

(処理をしろ とか 持ち帰れ とか たぶん書いてある・・・・)

(↓追加 9)

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      注意
    至急回収
    願います!
     11/6

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   (紙は ノート切り離し)

 

 主語とか 誰に何をして欲しいのか とかが イマイチあれな数行が手書きで

 

   m _ _ m

 

(役所でも)(現場の製図系でも) 二通り(以上)の何か-基準 が ややこしくさせている という面

を 今日明日から あれなのね。。  頭が あれだと言うておるのに やってゆくのね。。。。

とゆうても 普通に何かの申請をしたり 作業をするというような いつものことですが

できるだけ理解をしつつ 少々選択など という(頭を使う というと凄くあれなようですが あれで)

 

13 そうはいっても 基準的に どちらもアレ という面があれば あれで 

いつでも すぐ「撤退」できるように? 初日 入室前に「できる隊長」と ばったり顔合わせ

そのような挨拶をしておいた ような 気も

 

    ・・

(正)四角錘 というのは 
たたむには 三角部を内に とか  外側に折るとか で  「平ら」風    ・・いみふ・・

    ・・

 

(そのページ 紙の一隅が折られている)

 

とある「鑑定書」.........................................................................................................

 

  異なる画像上の人物の比較の結果として、同一人と考えて差し支えない、あるいは同一人である可能性が極めて高いと判断するためには、それぞれに固有の特徴が一致するか、あるいは集団内において稀ないくつかの特徴が一致している必要があると考える。例え、一致する特徴が多く認められたような場合でも、それらの特徴が集団内において比較的一般的なものである場合や、本人に固有と思われる特徴が一致していてもその数が少ないような場合には同一人物の可能性が非常に高い、あるいは同一人の可能性が高いと判断することになる。尚、「可能性が高い」という表現については、「可能性がある」という表現と同等と考えてかまわない。一方、両者に明らかな相違が認められれば、両者は異なると判断すべきである。明らかなという意味は、撮影時期や撮影条件などの違いを考慮しても説明のできない相違ということである。(中略)

  顔の部品の詳細の比較において資料1と資料2の人物で複数の部位に相違が認められ、その中には鼻部や頚部のような画像の不鮮明さでは説明のできない明らかな違いも含まれていた。従って、この所見を上記判断基準に照らせば、資料1の写真の明治天皇と、資料2の大室寅之祐といわれる人物は、別人であると考えるのが妥当であるということが、私の意見である。

(2008-平成20年 6月中旬 当時千葉・稲毛 橋本教授の研究室で)

橋本が「鑑定結果を見せてくれた」

 

「骨とは違い写真からの鑑定」のため

「100パーセント 別人とは判定しがたい」

 

部品を比較対照すると“別人”であることが「きわめて濃厚」であると橋本は鑑定

 

(1935-昭和10年「昭和神聖会」発会式)

 

鑑定書には 平成20年6月13日 東京歯科大学法人類学研究室 教授 橋本正次 と

『「フルベッキ写真」の暗号』2014 斎藤充功 の巻末に添えられているのですが

 

何をどのように信じていいのかどうか よくわからない その「鑑定書」

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返却日だということもあり

 役所での待ち時間中 パラパラ‥ そして数行打ち込みはじめたのが 下の部分

 

    ・

 

「すり替え」説を主唱したのは 鹿島昇/弁護士 歴史研究家

 

大室と鹿島が「交流したのは1960年代後半」(鹿島は「談話を収集」『日本侵略興亡史―明治天皇出生の謎』…「写真」には「触れていない」

 

「“    が   写真に写っている”とアドバルーンを上げた」のは 「松重さんの著作『日本史のタブーに挑んだ男』だったと思います」(斎藤充功

 

(地家靖一)(通称 寅吉)法人 設立?

役員構成

 相談役 斉藤一

 副相談役 地家基弘

 社長 周栄康正

 副社長 ひろゆき

 副社長 矢富美保子

 檀ふみ 専務

 三本和彦 常務

 高見映 常務

 リチャードコシミズ 常務

 関和亮 常務

 旁月今日人 取締役

 

 

「歴史上から抹殺された」はずの写真が最初に掲載されたのは 雑誌『太陽』明治27年7月号


生母の中山慶子墓所 文京区「豊島岡墓所
明治天皇以下 皇后 皇太后 皇太子は一度も行幸 行敬した記録がない


?  何をどのように

 

 

最近も(おでかけの)朝 バスでそこらへんを通りまして

 

 

 

明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌

著者: 落合莞爾、斎藤充功