空洞‥人が想う物事が 「理由」「原因」などであるのでしょう
そこに詰め込んだ「小砂利」は 砂を噛むような想い
といったところでしょうか
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隠して 画して 何かを行いたい という想いの他にも
わかりにくい顕現があるのでは と 最近思っておりましたが
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すれ違うおもいというのは ときに大きな溝となり
その気は無くても 何かの手伝いをしていることになってしまうのかもしれません
(傷ついたヒトは) 知らず知らずのうちに 何かをもとめて
「その気は無くても」協力していることになってしまうような‥
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期待をして長く待ってしまった とか
(相手が)そのようなヒトにはみえなかった とか
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思いもよらぬ 想像だにせぬ ‥ような
知らない場に出現しているケースがあるのでは と感じる 今日この頃
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空洞
かの地‥それらの複数の地を想うとき
ヒトの関心ゴトや 信仰シンのカタチ も 同時に浮かんでしまいます
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うまく(ときには やわらかな想いなどを かぶせあうように ) ほどほどの‥ と思われ
また 高くなりすぎたら 調整 蓋を開ける必要があるなら そのように とも
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先ほど 18時過ぎに 治療中ではない側の 奥の詰めものが取れまして(柔らかく煮た大根で)
予定より数日前に また予約を入れまして
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(食べにくくてしょうがない)