私のブログ

https://ka-on.hateblo.jp/ https://mutation.hateblo.jp/

さかさ に マイセツされた それ

ちょっと ❝ 甕 ❞ のほうにも 流しておきたい・・

....................................................................................


住居内への土器の投棄

平出遺跡の縄文中期の発掘調査ではしばしば竪穴住居址のくぼみから大量の土器が折り重なった状態で発見された

調査中に「足の踏み場もないほどの土器の堆積にめぐり合った時の」感想 は ヒトそれぞれ
  ひとつには「踏み場もないほどの」というあたり

 

「約30糎もの厚さにおびただしく堆積し、その範囲は周壁より一定の間隔を保ちつつ円形に、炉址はもとより一部の柱穴上までも被覆しており、しかも堆積部下面と床面との間は約10糎の間層を距てていた」
(其処と他七ヶ所も同様)

そのような土器の出土状態を観察した八幡一郎は「土器の集積する範囲が竪穴の全面に及ばず極限されていること、集積が所謂床面に直接せず、両者の間に若干の間隔があってその間を黒土が満たしている」ことに留意した

現象が生じた理由として
「住居の床上に敷かれていた丸太や干草などが腐り その上に土器が散乱した」
「住居が廃屋となり 竪穴が少し埋没した所に土器を置いた あるいは投棄したのではないか」
との二通りの考え方を示し

「住居を廃棄する前に遺されたものであろうとであろうと 廃棄してから後に遺されたものであろうと」そうした事実は(当時の生活を考える上に)「重要な意義を帯びている」と指摘

大場磐雄「住居内に死者が生じ、そのままその中に埋葬して若干の土をかけ、更にその上に生前使用していた土器や石器類を盛って、他の家族は退去したのである。その住居内で使用された遺物は死霊の付着したものである。だからこれを全部家に遺して退去したのである」と解釈

(その後 大きな進展もみずに経過していったが)

埼玉県吹上遺跡での住居内土器出土状況から 小林達雄が「吹上げパターン論」を提唱
…にわかに活況を呈することになった

小林氏は「土器作りと使用土器の一括廃棄を念頭においた土器作りのシーズン制、縄文カレンダーをその解釈に取り入れ 縄文人の思惟・行動を明らかにする手立てと」し

その後 床面直上出土例を「井戸尻パターン」として
それらのパターン論を深化させることにより 行動様式の解明を試みている 59、60

 


幼児埋葬説の埋甕

「発掘が進むに従ひ、南壁近くの床面下から意外な事実があらわれて、急に本住居址に対する注意が高まるに至った。それは外でもない。南壁に密接して床面下ローム層中に、完全な縄文式の大甕が、正しく逆さに埋設していたことである」(『信濃』2‐7)

 

埋甕は大正末から注目されてきた

宮坂英弌は 尖石遺跡の報告書の中で 埋葬は「出入り口部の床下に土器を埋めた施設である」とし 

呪術的・精神的側面を反映したものと推定

 大場は そうした埋甕の性格について「幼児の遺骸を納めたものではあるまいか」とのもと

「幼児埋葬説」を提唱

 

当時 信濃毎日新聞連載「目で見る信濃の古代」で「幼児の遺体を入れる」をテーマに その土器をとりあげ「あどけない幼な子の死は、ひとりであの世へ送り出すにはしのびない。一家の宝物ともいえるりっぱな土器に亡くなったわが子の小さな遺体を入れて、大切に家の中に埋葬したやさしい母親の愛情の深さを物語っている」

というように 埋甕にたいして具体的なイメージをひろげた

 

埋甕は、その後の研究の進展により、中期後半から後期初頭にかけて、中部・関東を主体として盛行することが明らかになった。その性格も死産児の埋葬説と胎盤収納説とに集約されつつある。

61、62

 

住居から出土して注目された頭頂部の平らな土偶は「河童形土偶」と称され 中期土偶の一形式として認知されることになる

(東北地方から北陸・中部・関東一帯で中期初頭に出現し 中葉から後葉にかけ 東部・顔面・腹部など各部の表現を微妙に変化させつつ発展・消滅した土偶である)

大場は「カッパ」と渾名されていたことは有名

調査の推進役となった原嘉藤が好んでカッパを描いたこともよく知られている 63『五千年におよぶムラ 平出遺跡』

 

 

吹上遺跡/和光市   白子3丁目の舌状台地の先端部に位置

 

不動庵 八幡神社 となり  吹上観音堂   通称:吹上観音=東明禅寺

歴史

足利尊氏、弟の直義は、鎌倉幕府滅亡の功績により北条氏領の赤塚郷を与えられ、当時密教系の修験道場(正覚院)であった寺を高 師直の命により普明国師を開山、本尊 薬師如来を奉り鎌倉 建長寺の末寺となり…

開山(勧請)智覚 普明国師(春屋妙葩)は、夢窓疎石国師)の高弟(実の甥)で、鎌倉 建長寺第54世、京都 南禅寺天龍寺相国寺に歴任」東明禅寺

 

東明禅寺の境内  「映画やドラマのロケ地として利用されています」

柔道一直線 地獄坂
●昭和残侠伝 高倉健主演
東映系戦隊もの ゴレンジャー、怪傑ズバットキカイダーロボコン   (東明禅寺)
 

 

 

和光市(のほうの)白子 ですと・・ 2014.8末ごろから   移動前後に思いをよせていたのでは