「物理学上なくてはならない、ニュートリノ」
そもそもなぜ、ニュートリノが見つからなければならなかったのでしょうか。 112
けれども実験で実際に保存されていないとなると、現代物理学のうえで大変な問題です。
エネルギー保存則 運動量保存則 角運動保存則など
一連の保存則が崩れると 「物理学」を すべて初めからやり直し となる
もうひとつの問題 「ベータ崩壊では、放出された電子の運動エネルギーが、減少した質量に対応するエネルギーより小さかった」
その矛盾を理論物理学者のニールス・ボーア/デンマーク/“量子論育ての親” は
「放射性崩壊では、エネルギー保存の法則が破れる」と考えた
理論物理学者のパウリは
「ベータ崩壊では、中性の何かの粒子がエネルギーを持ち去っている」と考え
そこで導入したのが「ニュートリノ」
当時、観測にかからない粒子が、足らないエネルギー、運動量、角運動量を持って逃げていたため、予想したニュートリノを含めれば全体として保存則はすべて救われるとしたのです。このときパウリは、「ニュートリノは観測にはかからない」ということを前提にしていたのです。 114
『ニュートリノと宇宙創生の謎』
原子炉の炉心から検出されたニュートリノ 114~116
ベータ崩壊から、「弱い力」を発見した 116~117
“幽霊粒子”ニュートリノを追い求めて 118~122『ニュートリノと宇宙創生の謎』
1984年チェレンコフ光を観測するうえで生じていた雑音を減らし
太陽ニュートリノを観測できるように カミオカンデ改造計画がスタートした
ニュートリノ観測とバックグラウンド(雑音)
μ粒子や地下坑道の放射性物質の崩壊でも発生する チェレンコフ光
スーパーなやつ (3/4 4/4 は 30に) ようしょうかい? ちがうか ?ようしほうかい?
1:10あたりから ですか 2:10 ・・・水を循環させて純度を保つ・・・
「ニュートリノを観測する上でやっかいなこと」は
「貯水タンクのなかにも雑音が入り込んでくること」
μ粒子は電子より重い素粒子
地上に水を満たした金属タンクを置くと μ粒子はタンクを突き抜けて水中を光速で走り
チェレンコフ光を出す
「仮に陽子崩壊によってチェレンコフ光が生じたとしても、膨大な数のμ粒子の発するチェレンコフ光のなかに埋もれてしまいます」佐藤
貯水タンクを地下1000メートルに設置
地下1000メートル付近では μ粒子がやってくる数が地上の10万分の1
円筒形のタンクを地下深くに置けば 厚い岩盤が大部分のμ粒子をブロックするため
雑音が格段に減る 137
ところが当時は、12MeVより下のエネルギー領域は周りからのバックグラウンド(背景雑音)に覆い隠されていました。このバックグラウンドがあると、必要の無い放射線がどんどん飛び込んできて、実際に欲しい信号を隠してしまいます。神岡鉱山の地下の坑道を取り巻く岩石には、じつはウランやラドンなどごく微量の放射性物質があり、それらの放射性物質が崩壊(ガンマ崩壊など)したときのγ線が原因で、観測感度を上げるほど、雑音が急増していたのです。岩盤中にごく微量に含まれるウランなどの放射性元素が出すγ線が原因でした。つまりγ線がタンクの壁を突き抜けて装置のなかに入りこみ、電子と反応して電子を“蹴飛ばす”ため、チェレンコフ光が発生していたのです。
そこで改造工事 の主体となったのは、カミオカンデが設置してある地下空洞とカミオカンデ本体との間にできた1.5メートルほどの空間に水を貯め、外部水槽にすることでした。
この“水の壁”によって、周囲の岩盤から飛び込んでくるγ線をシャットアウトできます。 138
ところが観測をはじめると、なお1秒間あたり数千回のチェレンコフ光が観測されてしまいます。このなかから2日で約1個の太陽ニュートリノをとらえるのは至難の業であり、実際には不可能なことがわかりました。それからは、雑音との闘いの毎日となりました。
カミオカンデでは 地下水をフィルターで濾過した水を循環させていた
その水を貯める外部タンクが外の空気と接していて 戸塚氏らは
そこからラドンガスという放射性の希ガスが侵入したと考え タンクに気密性を持たせた
そのときの状況を 戸塚氏は「地の底から見えたニュートリノ宇宙」の中で
「効果はてきめんで、1秒間に1000個を超えていた雑音がどんどん減っていった。試しに追加で地下水を1トンほど入れると、雑音レベルは一気に上昇したので、雑音の主因が地下水中のラドンであることは明らかだった」と語っている
1986年秋には もうこれ以上雑音を抑えられない というところまでこぎ着けた
そのとき、膨大な量の超新星ニュートリノの集団は太陽系のすぐ近くまで迫っており、その数ヵ月後、地球に到達することになります。 139
『ニュートリノと宇宙創生の謎』2012 佐藤勝彦 監修 / 編集工房スーパーノヴァ 編著
第16回 素粒子、光で地球をのぞく - 夢の地球観測技術がもたらす革命 レポート
火山噴火の予測には「ミュオグラフィの撮影の高速化が必要」
そのためには「ミュオンの検出器の感度を上げなくてはならない」(田中氏)
その方法としては検出器の面積を広げ、素粒子をキャッチする確率を高めることが、まず考えられる。その一方で、野外での取り扱いや操作を考慮すると、装置はある程度軽量コンパクトでなくてはならない。
もう1つ非常に重要な問題は、ノイズ(雑音)の減少だ。ミュオンばかりでなく、宇宙線に由来する多数の素粒子が地球に降りそそいでおり、それらがノイズとなってミュオン検出の障害となる。
「現在、次世代機として、極低雑音ミュオグラフィアレイの開発を目指している」(田中氏)
ミュオグラフィをアレイ化することで検出面積を増やし、さらに、複数の画像を合成するデジタルカメラ(動画)の手ぶれ補正に似た仕組みも取り入れている。 なお、ミュオグラフィは上空から降ってくるミュオンを検出することで可視化するため、検出器より下方は原理的に観測できない。検出器を地下に設置すれば、例えば特定の断層を観測することは可能だが、地震の予知に生かすといったことには、また別の課題があるようだ。
ニュートリノを利用する場合にも、装置の設置の問題があり、簡単ではないとの指摘があった。
2015年6月9日(火) 会場:東京プリンスホテル「鳳凰の間」 主催:MUOGRAPHERS 2015
パーヴェル・アレクセーエヴィチ・チェレンコフ/ソ連の物理学者
(Павел Алексеевич Черенков, 1904年7月15日(ユリウス暦)/7月28日(グレゴリオ暦) - 1990年1月6日)
「チェレンコフ効果の発見とその解釈」により 1958年のノーベル物理学賞受賞ヴォロネジ州ニジニャ・チグラ生まれ 両親のアレクセイとマリヤは農夫
彼は1928年にヴォロネジ州立大学(英語版)理数学部を卒業し、1930年にレベデフ物理学研究所の上級研究員となる。彼は後に研究班のリーダーに昇進した。1940年には理数学の博士号を得、1953年には実験物理学の教授に就任する。1959年から光中間子プロセス研究所を率いた。彼は14年間教授のままであった。1970年にはソ連科学アカデミー(現ロシア科学アカデミー)の会員となる。
セルゲイ・ヴァヴィロフの下で働いていた1934年に、チェレンコフは放射線が照射された一本の水の入ったビンから青い光の放射を観察した。
それは「1996」に完成・・・ 2001.11 連鎖的破損 気泡圧壊 脆性・・・
制作 2003.2