認識

(親役からは離れました)

(と言っても)、日常の病的な付き纏いがあるため、
自覚を持たざるを得ない行動については、

私のところに来ている、という時点で。
(上の記述を除いて)記入しておりません。

共有はされているでしょう。


政経、理数、知能も活かされることはなく、
DNA研究の転がされ方は、どうですか。


(DNAに埋め込まれた)昔噺や、
物語に浸られたままの方々に向けて、
ヴァーチャルに移行を希望されているという中、
語りかけることは?




(下の記入については)

過去の片付けようのないDNA、過酷な、
過酷すぎた(2014年9月に亡くなられた)実在した人物を意識する機会に、

私のことを書く必要があると、思わなければならないような、
一庶民が見てきたものは何だというのですか?


一民間人として、何ができるというのかしら。



(地元で) 子どもの習い事をサポートしました。
当時、親として。

いずれにしても(利用のされ方があり)、

どうであれ、
何処かで旅でもしているかのように仰りたいのでしょうか?

旅に出ているなら、このような記入はしないでしょう。