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おわり と はじまり の「定め」

 

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シェピー島(Isle of Sheppey) Wikipedia

イギリス、ケント州の北岸のテムズ川河口の島である。ロンドンの東、74kmほどの場所にある。面積は93km2である。スウェール地方自治区に属している。名前は古代サクソン語の"Sceapige"(「羊の島」)からきている。ロンドン・クレイからなる地質で、化石が多く出土する。

イギリスの航空の歴史とシェピー島

1900年代のはじめにチャールズ・ロールズらが気球飛行を広めるためにロイヤル・エアロ・クラブを設立し、シェピー島に本部が設立された。クラブは気球から飛行機にも関心を持ち、1909年7月にショート・ブラザーズはライト式の飛行機を収容するためのに湿原の近くにシェルビーチ飛行場を作った。イギリス海軍航空の創設者となるフランク・マクリーン(Francis Kennedy McClean)が1909年に土地を買収し、より飛行場に適したイーストチャーチにクラブのための飛行場が作られた。イーストチャーチ飛行場はイギリスの飛行機の歴史に重要な役割を果たした。ショート兄弟がロンドン南西部のバタシー(Batterse)で航空機を組み立て、イーストチャーチ飛行場でテストが行われた。イギリスの航空のパイオニアたち、ジョン・ムーア=ブラバゾンや、チャールズ・ロールズやセシル・グレースらが、この飛行場で飛行した。ブラバゾンは1909年10月30日、ショート兄弟の製作した飛行機で1マイルを越える周回飛行を行い、デイリー・メール新聞社の賞金を獲得した。1911年にはイーストチャーチ飛行場で飛行機の国際レース、ゴードン・ベネット・カップが開催され、アメリカ合衆国パイロット、チャールズ・ウェイマンが優勝した。

イーストチャーチのオール・セインツ教会には、飛行機事故で死んだロールズとグレースを悼ぶ、ステンドグラスが飾られている。2009年7月にイーストチャーチで、航空の歴史100周年が祝賀された。 

 

 

キゲンとハンエイ  起源と繁栄

始新世の化石植物コレクションとしてはボーマンス産よりも大規模で重要なところがイギリス南部にもう一か所あるが、そこにもなぜかイチョウ葉はない。ロンドン中心部から東に40マイル、テムズ河口のシェッピー島の海岸から採集された化石はロンドン・クレイ植物群と呼ばれ、5500万年前から4500万年前ごろの植物の暮らしを信じられないほど詳細にのぞき見ることのできる「窓」となっている。

『ロンドン・クレイ植物群』1933 自然史博物館刊行

エリノア・レイド  マージョリー・チャンドラー

化石の葉よりも 化石の果実と種子の研究をベースにしている 175

James Scott Bowerbank(1797-1877), Eleanor Reid(1860-1953), Marjorie Chandler

 

ロンドン・クレイの化石は、金鉱石によく間違えられる硫化鉱物である黄鉄鉱の中に、三次元で保存されている。化石はシェッピー島北部の海岸線に沿うチョコレート色の軟土の断層が風雨にさられるところにあり、さらに潮流や波に洗われる水ぎわに集中している。

 

ふつう 植物化石は太鼓の淡水湖や池 陸上の河川系の泥土や砂地に保存されていることが圧倒的に多い

ロンドン・クレイについては 果実や種子は川から海へ流れついて沈み

海底のヘドロに閉じ込められて石化した

 

特殊性をもつロンドン・クレイ植物群の 「優位性」

  • ロンドン・クレイで見つかる化石の果実や種子は漂流して海に達したものなので 海岸付近のみならず そこに注ぐ河川の土手まで含む広域の植物標本となる
  • 黄鉄鉱に保存されているということは 果実や種子の組織まで残っていることを意味する…外側だけでなく内側も ということ
  • 150年以上をかけてこつこつと集められてきたこと

内部構造の詳細が目に見えるほどはっきり残っているものもあり

そうした標本は現生の対応種と比較するとき ひじょうに役に立つ 176

 

その海岸でことのはか目立つ植物化石

地下茎をもたない ニッパヤシの果実

(こんにち 熱帯地方の東南アジアに自生し その分布は半塩水の潮間帯にあるマングローブの生育域に限定される) 

ロンドン・クレイからは、ヤシやバンレイシの植物化石もよく出てくる。そうして植物化石の存在は、テムズ河口の気温がこんにちよりずっと高かったことを示している。 177 

 『イチョウ 奇跡の2億年史』2014

 

30 繁栄の起源  水のよう・・

 

 

ニッパヤシ(学名: Nypa fruticans Wurmb) ヤシ科     Wikipedia

熱帯から亜熱帯の干潟などの潮間帯に生育するマングローブ植物。

なおニッパヤシ属で現存するのは本種一種のみの一属一種であるが、近縁種の果実は7000万年前の地層から化石として発見されている。

高さ9m前後に達する常緑の小高木。湿地の泥の中に二叉分枝した根茎を伸ばす(この茎(根茎)が二叉分枝をすることは種子植物では数少ない例である)。

茎(地上茎)はなく地上部には根茎の先端から太い葉柄と羽状の複葉を持つ数枚の葉を束生する。

葉の長さは5-10mで、小葉の長さは1m程度で、線状披針形、全縁、革質で光沢があり、先端は尖る。花期には葉の付け根から花序を伸ばし、長さ80-100cm程度の細長い雄花序および、その先端に球状の雌花序をつける。

雌花序は頭状花序で、雄花序は尾状花序である。花弁は6枚。花期の後、雌花序は棘のある直径15-30cm程度の球状の集合果となる。 繁殖は、根茎を伸ばした先から地上部を出す栄養繁殖のほか、種子による繁殖を行う。集合果から分離した種子は直径尾4.5cm程度の卵形で海水に浮き、海流に乗って漂着した場所に定着する海流散布により分布を広げる。

 

 

ノア(Nore)    Wikipedia

イギリス、イングランドテムズ川の三角江にある砂州。シェピー島にあるシアネスの町に近い。テムズ川と北海が出会う地点である。

ノアは海運の難所であり、1732年、世界初の灯台船が置かれた。

灯台船はロバート・ハンブリンが特許をとった発案であり、ノアの灯台船はその実験として置かれたものである。1819年にはイングランドに9隻の灯台船があったことから、その実験は成功したということが知れる。ノアの灯台船は、トリニティ・ハウス(全国灯台協会、General Lighthouse Authority)によって運営されていた。 初期のノア灯台船は、小型の木造船で、しばしばオランダ製のギャリオット船が用いられた。19世紀末には回転式の灯火を装備した大型の船も使用されたが、1915年頃に当局によって灯台船の使用は廃止された。エセックス州のシューベリネス(Shoeburyness)とケント州のシェピー島の中間にあるシー・リーチ1番(Sea Reach No.1)ブイが、以前の灯台船の停泊地点を示している(2006年現在)。これはテムズ川の終わりと北海の始まりを定めている。 1899年から1955年まで、イギリス海軍は「ノア管区司令長官」の役職を置き、ロンドン港への入り口の防衛と大ブリテン島東海岸沿いの海運の保護の責任者としていた。

1797年の5月から6月にかけて、ノアに隣接する錨泊地を舞台に、停泊中のイギリス艦隊で反乱が発生した。(ノアの反乱)

 

 

 

 

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立教通り 街の珈琲店 Dream Coffee しばらくぶりで 前回いつか 思いだせないほどの・・

 

店内 あいかわらず?