「感情などが 殆ど 全く うごかない」 ということの要素の ひとつに
たとえば どなたか(たち)が 何かを知りつくしているとして その範疇においては
どれくらいかの現象や 状況をつくりだすことが 可能(な点も) ということ
・・という面も 大きいのではないかと
あまり 「知っている」とはいい難い 私には うっすらと あつく 感じられます
「胸腺て どこにあるのでしょう? その名称には 違和感があるのです が」
その「知らない」何かの 場所や機能 概念などについても 当然 わかりませんけれど
「たぶん自然な振れ幅」で 何かが あり そして ・・何かを みている
ということは あるようで 「自然」風の流れで 起こる 起きてくる物事を・・
おそらく どのようにかして みたい ということではないかと思うのですが
どなたかたちの「範疇」を どれくらいかは知る必要があるケースもある ということでしょうか
どれくらいか 質 量 高低 肯定 などなど置いておくと 何かしら顕現 することもあり
「なる」とか「ある」とかいうよりも ^^わずかに ずらす^^ と いつも記入しておりますが
そう意識しつつも どこかでは なかなか 自分自身が 更になりにくい ということが
どれくらいか ずっとありまして
そういったことは 本来 もがいたりすることでは かえって遠ざかるのではないかとも
ですから
できればすんなりと まいりたいと ・・思えば そうも なかなか ということを経て
「種子 (唯識)」 と いう 区別語もあるようですが さて?
いまだ (どこかでは という面は 横に起きまして) ですが
早速の あらわれ
「そのあたり」 「しか存在しないかのように錯覚 」していたケースなどで
枠外が みえはじめたときに その溝 時差などが かけはなれていることもみえ
「どうにもならない」加減が 加速して 更に「どうにもならない」というときに
それぞれの それぞれによる 何か(の行いなど)が どのようにか
少量のまとめや何かで ある程度進行しますと どうしても やや 大げさなずらし(運び)を
しなければ 落ちつかないという・・ (模様替えでも どれくらいかの引越しでも同じなのでは)
昨日 夜にかけて どこかでの居場所をずらしまして どれくらいかの「空気」が吸えるように
^^ いままでも 吸ってはおりました
そこでの ほどほどの整理整頓 処理などを 今日から (その前に別場で休憩中)
「居場所」というのも 様様な形態 色色な見方などがあるでしょう
私にとっては・・ ?
記入してきたこと それぞれ そのときどき
勘違いや 間違いを除いて 嘘などの割合は限りなく低い 零の近く と
自負したい気持ちはあるのですが 「人間」という特性を持つ 人間なので 大きなことは あまり
それらが 僅かに どのように動くのか 動いてゆくのか
今 わりあい更なのか? 「更」を どうみるのか
日常 でてくる物事が どうかしら? と うかんだりするなら また
本筋でなければ (後退が変な形に見える)僅かも進みませんので (「更」の)更新
そんなことと ともに