テンソウすることができる

 

 

以前 そのような特別展があったらしい

 

「ミュオグラフィ―21世紀の透視図法」展

 

世界初の火山透視  2006年 

…ミュオグラフィ観測によって世界で初めて浅間山山頂部の内部構造が透視され…

この観測では、火口底には固結したマグマが、周囲よりも高密度の領域として見つかった。このマグマは2004年の噴火で噴出したものであることが、航空測量からも確認された。さらに火口底の下に、マグマ流路の上端と考えられる低密度の領域がみられた。こうして得られた透視画像から、一つ前に起こった浅間山の噴火(2004年)を以下のように解釈できる。

 

固結した溶岩によって塞がれていたマグマ流路が マグマから分離したガスの圧力によって爆発し 開口

それに伴い火山灰 火山礫などを大量に噴出

その後 マグマが火道をのぼり火口から噴出

 

一定期間、噴火活動を行ったのち、地表に出たマグマは外気Ouroborosで固結し、地下のマグマは火道へと吸い込まれ、結果として火口底直下に空洞が残った。

 

これが火口底の下に見つかった低密度領域なのだろう

 

  この観測は噴火活動をしていない火山のいわゆる静的構造をとらえたものであったが、のちに塞がれたマグマ流路の上に溜まったマグマが吹き飛んだ瞬間もとらえられた。ミュオグラフィ連続観測中の2009年2月2日未明のことである。このとき、浅間山であらたな噴火が起こったのだ。測定装置は噴火前後でも安定して稼動したため、ミュオグラフィ画像を描くことができた。その結果、2004年の噴火で火口底に溜まったマグマが一部欠損し、火口が大きくなったことがわかった。これは噴火でマグマが吹き飛んだからに他ならない。一方で、火口底の下に続くマグマ流路には変化が見られなかった。これは2009年の噴火はマグマが上昇しておきたものではなく、より深い場所で帯水層と接触して発生した水蒸気が火口底に溜まった古いマグマを吹き飛ばした、いわゆる小規模な噴火であることを意味する。実際、これ以降 噴火が続くことはなかった。…

ウロボロスVolume20 Number3/um.u-tokyo.ac.jp/web_museum

 

 

 

著者: 田中宏幸、大城道則

 

「アルヴァレの試みは当時世界的な注目を浴びた」

しかし結果は期待したほどではなかった。数ヶ月に及んだ測定の結果、カフラー王のピラミッド内部に2メートル以上の大きさの空間が存在することを確認することはできなかったのである。もしアルヴァレの調査によりピラミッド内部に新たな空間が発見されていたら、ピラミッドを研究対象としていた他分野の研究者、たとえばエジプト学者・考古学者・歴史学者が研究に使用できるようなツールに進歩していたかもしれない。しかしながら、彼による調査は中東戦争の影響もあり、以降エジプトにおいて継続されることはなかったのである。… 28

 

ミュオグラフィの技術発展はいったん小康状態に入ったが

90年代に入り 火山を対象に研究が再開され

「2006年、我が国が、世界に先駆けて火山の透視に成功した」

この成果は物理学の世界の枠組みを越えて、瞬く間に世界中に広がることとなった。そのとき以降、ミュオグラフィはそれ自体が他分野との融合を求めはじめたのだ。そのような世界的潮流のなか、ミュオグラフィは文化財保全にも活用されはじめていることが報告されている。… 28

 

 使われたのは「原子核写真乾板と呼ばれるミュオン記録フィルム」

通常の写真撮影の場合の、写真フィルムに相当するものである。原子核写真乾板はミュオンの飛跡を焼き付けることができる写真乾板なので、撮影対象に向けて露光(露ミュオンとでも呼ぶべきだろうが)しておけば、写真は撮れる。ただし、ミュオンの数は薄暗いところにある光子の数よりもはるかに少ないので、非常に長時間露光させていかなければいけない。2006年の浅間山の観測時の露光時間はおよそ2ヶ月であった。

 

「流路を上がってきたマグマは、ビール瓶の蓋を開けたときのように泡立つが、その際流路をふさぐマグマはビール瓶の蓋の役割を果たすのか否か」 30

 

 この時期 ミュオン飛跡の実時間読み出し技術が開発され

ミュオンが通ると光を発するシンチュレーション検出器との組み合わせで

フィルムを持ち帰って現像することなく 実時間でミュオグラフィデータを

遠方へ転送することができるようになった

 

当時、浅間山では流路が蓋をされており、はじけた泡が逃れる場所がなかった。ミュオグラフィはこの流路が蓋をされており、はじけた泡が逃れる場所がなかった。ミュオグラフィはこの流路の蓋が吹き飛ぶ前後を捉えた(Tanaka et al.,2009)。これこそが浅間山の噴火であったのだ。 31

『歴史の謎は透視技術「ミュオグラフィ」で解ける』

 

  2009年2月2日浅間山噴火の様子・・ 毎日新聞 朝日新聞 と 

プレビューにもある・・記事

 

そういうのは ? ・・・・そういうのではなく 

2009.2.22 北軽井沢 炎のまつり2009 とかいうのに ぶちあたりますかね

 

 

ん   掘れるものは そのように  ・・2009は ?  Defiance 添えときます?

  ブログ開始 2006  その6.6ではないだろうか 小動物連れでのそちら行きは

  わたしは げろげろになって バテバテのあやつに心配されたときでは なかろうか 

おぼえやすい  きおくにのこりやすい  すうじ

 

 

 

 

より

…(「天使のトランペット」とたとえられる 「空洞に石膏を流し込み犠牲者の姿を甦らせる方法」―ヴェスヴィオポンペイ

浅間山とヴェスヴィオとは、ほぼ同じような比高を持っていることになる」 「写真で見る姿は驚くくらいよく似ている」

「地図で方位をあわせてみると、両山の裾野の範囲が地図上でほぼ重なることがわかる。浅間でいうと、火口の南東約9kmの中軽井沢駅の西口付近にポンペイ遺跡が位置している。どちらにも噴火を扱った記録が残されている」…

 

 

 ほか 「浅間山」キーで あちらであれしますと・・

 


 


 

 

・・といった感じですか

 

 

 

そうでしたね    Writing's On The Wall 

 

I've been here before…

 

How do I live?…

How do I breathe?…