全身ではない一枚 今後も観察などは するかも
(画像:8.15撮影分)
〜16 (つらつら記入しておりますが)
実は 枠内の植物の赤みがとれていて たぶん‥
ネームプレートは無いのですが たぶん‥ そう
向き合い じっくり観察も
(記念) 記録 画像を何枚か撮りまして
いろいろ 浮かんでくる物事もあったり‥
おちついて整理しようかな と 思うとります
また 眠りがつらく 目覚めがち という
こういうことに対しての慣れ方はあるかと思いつつ
ひきさかれ とか じゃまされ とか いうような
利用のされかたが変ならば この状態は おちつかず
(その種とも) 距離のとりかたというものを‥
みつめざるをえない あいかわらずですが
ゆずらないところは 譲らず というか
人間(的)かどうか なにを理想とするのか
それが人間と言えるのかどうか とか
みないで(反発されたり) 持っていこうとされても
(はじけねらいと みなす)
伸び方が速くて ‥そうすると どこであれ
どうしたいのか? 誰に置かれたのか? 等 他
といった観点 着目点 凝視の度合いが強まる
(そんなふうに 明確な何かにより)
(近々) いつか 土(中身) 仕立てを変えたり
場所を移動したり‥する前に 撮っておくことに
(避難用備品点検は 9月初旬)
(こういう記入も無駄でしたよね)
(縮小に縮小を重ね) (取らないと面倒なことになる)
そういう 要らない物事に手間をかけなければ
面倒なことになる という面倒
それらは楽しみでもなく たのしくないので
すぐにおこないたいことでもなく
つまらない毎日 そんな中 義務感のように
何を遍とするのか 何が遍か
というようなことを考えることは
つまらない
(植物園といえば 日英(等他)がついてくる印象で)
何でもやる方々は 何でもおこなう
カネクイムシ ムサボリムシ キカザリムシ
視界に入ってくる物事は 常に疑うことになり
(まわりに)そちらのつながりを持つ方々がおられ
何かを醸されたとしても 疑いは消えることなく
(いつも 自分の環境を 嘆くばかりとなり)
そこが 一切改善されていないというのに
わざわざ協力する類の馬鹿(の類)でもなく
何が遍かといえば それらの要素 でして
‥まあ 兎に角 興味がわかない つまらない街で
暮らしている という
そんなふうに 暮らしてます
「自発」的(装い)に やらされている感は 常にあり
つまんないカモは のれずに つまらない
誰かのすべきかたづけものは 当事者のもの
度を超えた嘘つきの話を聞く耳は 持っておらず
何かを行なう機会が もし あるのだとしたら
僅かな まともな人々と ご一緒しているという
僅かな すくいに 動かされているから でしょう
自発的なおこないは 身のまわりの 僅か
・
13年くらい前に 志村(のドイトで でしたね)
(不動産屋が その辺と吉祥寺をすすめましたね)
そちらに うかがわねばならなかった?
誰かさんと 誰かさんが 通っていたから?
天井まで伸びて 切り 移動のおりにも切り?
回想 (Castanospermum
なんか 16朝に下部が消えました
‥何載せてましたっけ?
「あきのおわり」とか