ナショジオより
イヌと修道僧、ミャンマー
ミャンマー第2の都市マンダレーにある美しい湖で、3匹のイヌと散歩する修道僧。有名な世界最長の木造橋「ウーベイン橋」も近場にある。
(写真と文は米National Geographicサイト「Your Shot」への投稿作品)
Photograph by Guillaume Megevand, Your Shot
お昼前とか 休憩前 終了前 そういった(職場での)一斉の 合図の頃 前後
(午前の)(午後の)(その日(翌日)の)プランなどをみつめるような
空間やどこかをみて
振り返り 組み立て 準備などの 調整 修正 取りやめ ・・見直しタイムですか
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流れを辿りたいような気が
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近いところから 遡ってみます
(票の裏へのメモ書きで 表にある時間が視える点も)
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夕方(6時前後)
55刷! らしい 知里幸惠著の文庫『アイヌ神謡集』(1978〜)が そこにあって
開いたところに「雑司が谷」の「椎の木立の下」に彼女のお墓があると(P161)
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調べますと 昭和50年に 回葬(??)(確か 遺骨を郷里に移動)したため そこには無いらしい
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が 2006.1に仏の作家 ル・クレジオが雑司が谷に寄り 墓参り などとあったりする
(J.M.G.Le Clezio)
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知里氏を検索する方は 家康とセットで ということがあるのか? と 何かを入れてみる
アイヌの「末裔」どうのこうの…
そして そのページには「麻や稲は…」とか「麻という植物は神通力…」
などとも 記されていた
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昼(11:55‥別「麻」?件も同タイミング)(と 記入しておきたい感じ)
ふと 『地形由来でみる東京の地名』(2015 山内和幸)を手にし
開いたところに「浅草」「麻布」
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その見開きを転写(したので 打ち込むのでは) → 翌朝 送付 ↓
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以前 この界隈の何かで寄らせていただいた collegio-芳賀ひらく氏
(「ひらく」は「啓」)によれば
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地名研究者のあいだでは(「草」系云々というほうよりも)
「麻」…「アズ」「アゾ」「アザ」は「崩壊地名」の一つとして知られているらしい
…「アザブ」一帯は東京23区のなかでも江戸をはるかにさかのぼる、時間と空間の凹凸地域で、それゆえに「場所の記憶と物語」は厚く、多彩………江戸初めての火葬
(江戸の崖 東京の崖 その18/10月16th,2010)(←web)
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麻布山善福寺/逆さ銀杏
がま池 柳の井戸 我善坊 などなど
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紙の集合『デジタル鳥瞰 江戸の崖 東京の崖』2012 を借り
館内書物『東京「暗渠」散歩』2012 本田創(編著)(は 昼に予約を入れ 駒込から 夕方こちらに)
追加到着『江戸東京 地形の謎』2013 (芳賀ひらく)(巣鴨から4夕に)
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(いずれも 以前手にして めぐらせた物ですが)
このたび 凸凹のわかる地図をじっとみつめてしまうようなので
(以前の)逆さの目線とか ? なんでしょうか
どうも じーっと みてみたいような気がして
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寝てしまいそう
その前に 記入
したつもり
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「21:45」のあと・・・・そういえば 熱かった と 植物の葉のほうに手で散水 パシャパシャ バシャバシャ
(如雨露はどこかにある? それや箒も気になっていて いろいろと見たりして ・・もとめるのでは)
ここにあるのは 某焼酎の入っていた ハンドル付きのペットボトル
すると 下から笑い声が 「雨?」などとも へらへら 声がでかい(設定)
なんか 機械的な 「楽しい」よそおいの 大きな笑い声 で つまらなさそうに聞こえ
それで眠気が飛ぶのかなと思えば そうでもなく
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4 ・・もうひとつ
芳賀氏の webのほうのどこかにあった 「ギリシア」が「オリジナル」の ・・・・
「キリギリス」→ ヨーロッパでは南域に限られる「セミ」
Wikipedia より
…元は「アリとセミ」(FabulaeFable114は黄金虫:センチコガネ)だった。セミは熱帯・亜熱帯に生息し、ギリシアなど地中海沿岸にも生息していて、古代ギリシアでは文学でも取り扱われているが、ヨーロッパ北部ではあまりなじみが無い昆虫のため、ギリシアからアルプス以北に伝えられる翻訳過程で改編された。日本に伝わった寓話はアルプス以北からのものであるため、日本では『アリとキリギリス』で広まっている。英語では、The Ant and the Grasshopper、The Grasshopper and the Ant、The Grasshopper and the Antsなどと表記される。…
日本では、1593年(文禄2年)に『イソポのハブラス (ESOPO NO FABVLAS)』として紹介されたのが始まりで、これはイエズス会の宣教師がラテン語から翻訳したものと考えられており、天草にあったコレジオ(イエズス会の学校)で印刷されたローマ字のものである。非常に古くに日本に取り入れられた西洋の書物といえる。その後江戸時代初期から『伊曾保物語』として各種出版され、普及し、その過程で「兎と亀」などのように日本の昔話へと変化するものもあらわれた。内容は現在のイソップ寓話集と異なる話も収録されており、さらに宣教師向けの『イソポのハブラス (ESOPO NO FABVLAS)』と、読み物としての『伊曾保物語』の間にも相違が見られる(16世紀末の日本における宣教師の出版についてはキリシタン版を参照)。
明治になってから英語からの翻訳が進み、幕臣出身の学者で沼津兵学校校長だった渡部温の『通俗伊蘇普物語』(現在、東洋文庫にて入手可能)がベストセラーとなり、修身教科書にも取り入れられた事から、広く親しまれるようになった。
翻訳書が刊行されるにあたっては、タイトルには通常「イソップ寓話」を筆頭に、冒頭に書かれたようなものが用いられることが多い。しかし、アイソーポス(イソップ)が実在した人物であるのかが不明であることから、一部では、「イソップ風寓話」といった表現をタイトルに据えるものもある。