まず ウイルスをどうしたかったのか ということですか
そういうことは
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「無毒化組織獲得」手順の流れなども 何度か行き来したと思うのですが
どうも (不自然といったらいいでしょうか)違和感などがあったような
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そしてどこかの「ジャム」づくりは 何か変な感じでした
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今 記入しましょう
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イギリスからは昭和39年に送られてきた
ウィルスがついている とわかり 横浜植物防疫所で隔離保管されていたものを隔離栽培を委託するために持参した とのことだった
そのため多所へ枝などを出さぬようにとの申し入れをうけた
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苗木がはじめて小石川へ持ちこまれたのは昭和40年4月10日 苗の高さは約1.5m
同日付で柴田雄次氏(当時 学士院長)は横浜植物防疫所隔離圃場の方へ一通の誓約書を提出している
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…かねてよりイギリス産リンゴ苗木一本の隔離栽培をお願いいたしておりますが、このたびこれを引き取るに当たり、左記の如く誓約します。…
一、この苗木を東京大学理学部附属植物園内に保育すること。
一、この苗木の移植、継木及び根分け等については然るべき手続きを経ずしてこれを行なわざること。
(誓約書/P42)
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「さて、隔離栽培を引き受けて以来14年後になり、ウイルス無毒化の試験方法が開発され、早速、横浜植物防疫所の垣花担当官と協議の上、採用実施することに決定、上のような計画を立てた」
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(「上の…」それは「表」の中で矢印が飛び飛び で‥つまみ上げ)
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「ウィルス無毒化組織獲得」手順などの流れ
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保管施設/方法
東大理学部付属植物園⇒(輸入元株保管)⇒輸入元株焼却処分
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東大理学部付属植物園/「熱処理」個体育成→「接木居着確認 25℃ 2週間」(54年3月中旬)
→熱処理 38℃ 3〜4週間→「生長点接木」(台木:リンゴ実生台)」
→「獲得個体養成」→「育成個体」
→大和圃場/「ウィルス検定」→ウィルス無毒苗(東大植物園へ引渡し)
試験終了後の処理方法
熱処理 高温殺菌/熱処理個体 鉢 土壌
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その計画にもとづいて小石川の伊藤義治技官が接木作業を担当
第一回 切接は54年3月中旬に16個体について実施…内14個体が成功 2個体が枯死
第二回 生長点切接(緑枝接)では14個体のうち 5個体が成功 9個体が枯死
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成功した個体はその年の6月中旬現在で新梢が15〜20センチ伸長し成育は順調だった
そのまま栽培管理を続行し、翌55年の2月23日に大和隔離圃場へ検定のために搬出した。この引き受けは同圃場の小林敏郎管理官が行った。3月中に接木を行い病徴検定を無事パスし、7月中にさらに草本のシロザ Chenopodium cyanum の葉に液汁添加による病徴検定を施行。そして11月に至り、合格決定の知らせが植物園に入った。関係者の長い間の苦労が報われたのである。その結果、待望の公開の場での植栽が可能になり、多くの人の目にふれることになった。
(柴田氏は1979年永眠)
『小石川植物園』1981 川上幸男
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(同書より)
はじめて結実したのは昭和42年
にぎやかになるようになったのは昭和45年以降
直径10センチ前後になり やや扁円形で 紅熟したことはなく
りんごの味と香りがする程度で 美味ではない
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そのリンゴの木について 鈴木洋二氏(横浜在住)のまとめた記事
「このリンゴの木は接木によってふやした一本がイギリスの国立物理学研究所(NPL)の庭に植えてあった。研究所の所長ゴードン・サザランド卿(Sir Gordon Sutherland)は日本学士院長の柴田雄次先生と親しい仲であったため、柴田先生がサザランド卿にこのリンゴの木に実がなったら一つくれるように頼んであった。このリンゴの木が初めて実がなったのが1962(昭和37)年でその年の秋、万国化学協会(IUPAC)の実行委員会が日本で開かれた。それに参加したゴードン・サザランド卿より、日本学士院長柴田雄次博士に、ニュートンのリンゴの木を記念樹として育てて欲しいという話であった。(中略)サザランド博士より柴田先生への来信によると、同博士がキュー(Kew)植物園の専門家に鑑定してもらったところ、この種のリンゴは「ケントの花」(Flower of Kent)といってすでに、シェイクスピア(1564-1616)と同時代のパーキンソン(Parkinson)という人が記載しているということだった。従ってそれ以来少しも品種改良を受けていない原種なのである。(中略)ある日、日本学士院長柴田雄次殿という宛名で羽田空港に苗が届いた。羽田空港に常駐する農林省横浜植物防疫所羽田支所の担当官は学士院に苗の到着をしらせ、苗の由来を聞いてそれを神奈川県大和市下鶴間にある、横浜植物防疫所国際課附属大和隔離圃場に保管して様子を見ることにした。大和隔離圃場におかれたニュートンのリンゴの苗木は調べたところビールスがあることがわかったので、健全な樹木としては扱えないというので、話し合いの結果東京小石川にある東京大学理学部附属の植物園で保管することになり、大きな鉢に植えたまま一般入園者が立ち入らない場所においてあった」
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