読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ショカン的空間

カエリみる タイサク …6

2016年6月9日 22時15分の記事
 
 


Forgotten People,Forgotten Diseases


《マイコバクテリア感染症》〈ハンセン病〉P120~129

差別という点では,ハンセン病と呼ばれるマイコバクテリア感染症がNTDsの中でもとりわけ大きな差別を生み出してきたといえる.「文明的な」古代ギリシャ古代ローマ,さらに中世のヨーロッパの歴史を見るだけでもそう言える.

ハンセン病の歴史の概要: Roueche,1986 P68-86
バートン・ルーチェは40年以上にわたって New Yorker誌の「医学史」-Annals of medicine という連載記事の一部を担当し 1994年に83歳で死去 / 彼の生涯: Lerner,2005


ハンセン病は正確な記録文書が残る最古の感染症だと考える学者もおり,一部の学者はハンセン病の起源は古代エジプトのころだと推測している.古代エジプトの国王ラムセス2世(紀元前1379~1290年ごろ)は,8万人と推定されるハンセン病患者を追放し,サハラ砂漠のはずれに移住させたとされている.

またモーセ五書〔旧約聖書の始めの5つの文書〕の3つ目の書であるレビ記には,ハンセン病患者を「穢れた者」と宣言することについてモーセが受けた詳しい啓示の内容が書かれている.旧約聖書新約聖書にはこのほかにも「ハンセン病」について書かれている箇所が膨大にある.

ただし、これらに書かれている外見の変化は、皮膚症状を伴う他の感染症の可能性もある.聖書は古代文書のなかでも,NTDsが差別の原因となることが最も詳しく述べられている文書であろう.
Stienstra et al.,2002

なおハンセン病においても 他のNTDsと同様に 女性のほうが差別を受けやすい


ハンセン病の起源がエジプトである可能性は高いが,一部の医学史家は古代中国の文書やヒンドゥー教ヴェーダに書かれているハンセン病と考えられる病気について検討し,ハンセン病の起源がアジアである可能性のほうが高いと考えている.
ハンセン病の歴史については Sherman,2006 の第14章 P303-311 も)

ハンセン病はおそらく古代の貿易経路またはアレクサンドロス大王(紀元前356~323年)の遠征軍を通じてアナトリア(小アジア)に広まり,さらに古代ギリシャ古代ローマへと広まった.カリフォルニア大学のアーウィン・W・シャーマンはヒポクラテス(紀元前470年ごろ~380年ごろ)はハンセン病を見たことがなかったために,ハンセン病について何も書かなかったのではないかと述べている.
(Sherman,2006 第14章 303-311)

それは聖書の中でハンセン病について書かれている箇所が他の感染症に関するものであり 感染症以外の病気が含まれている可能性もあるという考えを幾分支持するものである

シャーマンらによれば 様々な皮膚の病気を表す言葉として使われていたヘブライ語のツァーラアトという単語が 紀元前300年ごろに「鱗状の」という意味のギリシャ語のレプラという単語に翻訳されたため そのような混乱が起きているのではないか とのこと


ハンセン病に関するヨーロッパ最古の正確な記録は西暦150年のものである(Sherman,2006 第14章 303-311).またヨーロッパの墓地で収集された骨を分析した結果から,ハンセン病が中世ヨーロッパで広まったこともわかっている.

中世ヨーロッパではハンセン病患者の顔が獅子(ライオン)に似ているため獅子面症と呼ばれることがあった.このころにはハンセン病患者専用の療養施設や病院が作られてハンセン病療養所またはハンセン病病院(ラザレット)と呼ばれていた.

ラザレットとは 聖書に登場する外見が変化した物乞いの名前ラザロに由来する

中世のヨーロッパのハンセン病病院は現在の病院より修道院に近い存在だった.しかしハンセン病への不安が広がっていたため,ハンセン病患者は日常的にこうした施設に強制的に送られていた.メディカルライターのバートン・ルーチェは,中世のヨーロッパ全体にハンセン病恐怖症が広がり,12~14世紀に最もひどかったと考えている.

その時期はハンセン病のエピデミックがヨーロッパで最も深刻だったころ


ハンセン病恐怖症のために,たとえばハンセン病患者はハンセン病病院に強制的に送られる前,あるいは追放され物乞いになる前に自らの葬儀が行われることを受け入れなければならなかった.また,街を歩くときには「ラザロの鐘」を鳴らして自分がいることを周りに知らせなければならなかった.さらに不幸なことに,火あぶりにされたり生き埋めにされたりしたハンセン病患者もいた.

中世のヨーロッパで起きたハンセン病のエピデミックがどこから始まったのかはわからないが,十字軍遠征から戻った騎士が原因でエピデミックが起きた可能性も示されている.「ラザロ騎士団」と呼ばれるハンセン病感染者の世話をする騎士修道会もあった.
(Sherman,2006 第14章 303-311)

その後ハンセン病は明らかに少なくなったが 理由は今もわからない…同じころに結核も蔓延していたため(都市化の進展が原因かもしれない)結核と何らかの接点があったか 結核に感染した大勢の人々がハンセン病に対する交差免疫を獲得したという推測もあり(その仮説は Donoghue et al.,2005 で提唱されている)

このように結核菌に感染することが,らい菌の感染に効果をもつワクチンとして作用していた可能性がある.

米国のハンセン病患者との関わりも古く,興味深い.20世紀初めまで米国本土のハンセン病患者は相当数にのぼり,とりわけルイジアナ州には大勢の患者がいた.

1916年の連邦議会では,米国内のハンセン病患者の居住環境は劣悪で,一部の患者は独房に収容された犯罪者のように扱われていると証言されている.
(カーヴィルの国立ハンセン病療養所の歴史: knowla.org/ entry/ 576 および Gaudet,2004)

ルイジアナ州のインディアンキャンププランテーションが国立ハンセン病療養所になる約20年前からハンセン病患者がこのハンセン病患者がこの場所に収容され,インドで開発された大風子油(だいふうしゆ)による新たな治療が行われていた.過去30年間に行われた臨床試験で,この治療法には抗ハンセン病効果があることが示されているが,効果的な治療法であるかどうかについては議論の余地がある.患者の治療と看護は,聖バンサン・ド・ポールが創設した愛徳修道女会の修道女たちが行った.

米国国立ハンセン病センターは最終的に1999年に閉鎖されるまでの100年間以上存続した.

その間 米国本土でハンセン病患者の治療を行う唯一の入院施設だった

カービルに来た患者は死ぬまでずっと家族や友人に合わないことが多く,本名を捨てることもあった.そして病院スタッフとそこの患者が新たな家族となった.また病院の敷地内には歯科医院,食堂,墓地や刑務所まであらゆる施設が揃っており,独立した1つの村のようだった.米国では20世紀半ばまでハンセン病患者が深刻な差別を受けており,公衆トイレや公共交通機関の利用を拒まれていた.特に中国系米国人はハンセン病の原因になることが多いと誤解され差別されていた.
(Sherman,2006 第14章 303-311)

米国のハンセン病史においては,ハワイのモロカイ隔離地区が作られたことも記すべき事実である.
(モロカイのダミアン神父の経歴: yourislandroutes.com/articles/leprosy.shtmlおよび visitmolokai.com/kala.html)

ハワイの国王は19世紀半ばにハンセン病患者をモロカイ島の隔離地区に収容することを命じた.この際,ハンセン病患者が隔離地区を抜け出せないように,三方を太平洋に囲まれ,残りの一方が険しい崖になっている地区が選ばれた.モロカイに隔離されることになった患者の多くは,この地区に向かう途中,海岸から数百m離れた海上で船から突き落とされ,泳いで島にたどり着いた.(Sherman,2006 第14章 303-311)

ダミアン神父(ヨセフ・ダミアン・デ・ブーステルは,1873年にホノルルのカトリック布教本部からモロカイ島に赴任したベルギーローマカトリック教会の宣教師である.ダミアン神父は10年以上にわたり隔離地区で暮らすハンセン病患者の世話を続けた後,自らもハンセン病を発症し,5年後にモロカイ島で死去した.
「モロカイの殉教者」と呼ばれ ローマ教皇から1995年に福者 2009年に聖人の敬称を与えられた…ダミアン神父の銅像が米国連邦議会の議事堂とハワイ州議会の議事堂に置かれている(銅像: aoc.gov/capitol-hill/national-statuary-hall-collection/father-damien 参照)


複数の抗マイコバクテリア薬を組み合わせて投与する多剤併用療法(MDT: multidrug therapy)と呼ばれる治療法を広く使用した結果

今日では世界のハンセン病有病者数が19万2,000人まで減少 新たにハンセン病と診断される患者数は年間22万8,000人と推定され…「新たにハンセン病と診断される患者」の約半数はインドに見られ(12万7,000人) 次いでブラジル(3万5,000人) インドネシア(1万7,000人) コンゴ民主共和国(5,000人) エチオピア(4,000人)と続く

WHOはハンセン病の有病率が1万人あたり1人未満まで低下した国を公衆衛生上の問題としてハンセン病が排除された国としている.そのためほとんどの国でハンセン病が排除されているが,最近,国家レベルで排除目標を達成した国としてコンゴ民主共和国モザンビーク東ティモールがある.ただしインドやブラジルなど約10か国は規定の排除基準を満たしていながら,エンデミックが深刻な地域がまだ国内に残っているという状況である.
World Health Organization,2011
who.int/lep/


ハンセン病の原因はらい菌

らい菌はノルウェーの科学者のG・H・アルマウェル・ハンセンが1800年代後半に発見し,ヒトの病気の原因であることがいち早くわかった細菌である.
ハンセン病の臨床の説明: Leprosy Group,WHO,2002)
(Rinaldi,2005 who.int/topics/leprosy/)

マイコバクテリウム・ウルセランス,結核菌,らい菌などマイコバクテリアは特定の染色剤を使うと赤く染まることから抗酸菌とも呼ばれ,顕微鏡で見ると通常は塊状か柵状に並んでいる.ハンセン病は感染者の鼻の分泌物を介して伝播する可能性が最も高く,1人の感染者が生きたらい菌を1日あたり1,000万個も排出していると推定されている.排出されたらい菌が他の人々に伝播するしくみはわかっていないが,吸い込まれて呼吸器に付着するか傷口から侵入して伝播すると考えられている.一般的に,たとえば家族のようにハンセン病患者と密接に接触することがなければ,健康な人にハンセン病が伝播することはない.

らい菌の自然宿主はヒトだけだが,チンパンジーなどヒト以外の霊長類でも感染は認められる.また,興味深いことに,ココノオビアルマジロの体内でもらい菌が増殖することがわかっている.

らい菌と接触したすべての人々にハンセン病の症状が現れるわけではない.また仮に伝播したとしても,感染したほとんどの人にはハンセン病の徴候や症状は一切現れない.ハンセン病の兆候や症状が現れる場合,通常は数年後に臨床的な特徴が現れる.

つまり,ゆっくりと病気になり,3~5年後に身体の変化に気づくことが多い.臨床的な特徴が現れた時点ではすでに,通常は多くのらい菌が皮膚や末梢神経(運動機能と感覚機能に関わる神経)で増殖している.そのためハンセン病の初期段階では末梢神経障害が起こり,ピリピリとした痛みを感じたり感覚が失われたりする.炎のような熱い物に触れても患者が気づかず,火傷する場合がある.末梢神経障害が広がると手や足の筋力が低下し,顔の筋力が低下することもある.また皮膚がまだらに変色することもある.
ハンセン病の臨床の説明: Leprosy Group,WHO,2002)


そのような初期症状の後 通常は2種類のどちらかの症状が現れる
(~P127)

『顧みられない熱帯病』2015


Peter J. Hotez, MD, PhD. 著
ベイラー医科大学テキサス州ヒューストン)/国立熱帯医学校 創設学長/小児医学および分子ウィルス学・微生物学 教授/テキサス子ども病院/熱帯小児医学寄付基金 教授/ワクチン開発センター代表/セービンワクチン研究所 所長/ライス大学 ベイカー研究所 病気と貧困特別研究員/PLOS Neglected Tropical Diseases 創刊編集長

監訳:北潔-東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻 教授/長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科長

訳:BT Slingsby-グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)CEO/鹿角契-グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)投資戦略・開発事業担当部長