何度か材木の町に。
甘露の雨、甘茶。
潅仏。
様々な望みの現れるとき。
(何度か材木の町に)
(2020年)節目の法事には出席しておりません。
…が、そのときの連絡からの繋がりとなりました。
「普(通)」
(あの店舗の方の名称では、使われていないですね)
(「三日間」のあらわれは)
(和光市、26日)
(数年前に)動きがあった際、
それから数年、様々なやりとりを経て、
感慨深いものがあります。
(お怒りの内容は、尋ねる機会も無く、わかりませんが)
背中の表情だけは。
(漂っているのかしら?)
「光」
勿論、それらだけではない、(お手入れ、技術などの)影響。
(怒りも、その内容も)わからずに追い出されたということでしたので。
そこに、そのまま(増える)、許されない不躾さ。
(概念の有無に関わらず)
(数に表せるかどうか、という)局面に入られ、
あら?と、横の繋がり(の無さ)に気づいたのは先月でした。
(店員さんには、そういうつもりはなかったと仰った様子)
これ、細かく書けば書くほど通じなさを増すので…
(客観視とか、産業云々とかいう以前の…「衝撃的」なんといえば)
(タイプの現れ、5日だけではないようです)
一方、
(通じなかったにせよ、色々お話しされたのでは)
精算を意識されての物事だったのかと。
会話のはじめから、端々に感じられましたし。
(ご自身の分)
(ぎりぎりまで頑張られ)
そうですね。別の表情も見せてくださった方は、怒りから離れて、好きなことを楽しまれているのかしら。
(自国…割合どれくらいかに排除された私も)
普通のやりとりが可能なところで。
ちょっとずつ…
(6日も更新)
膿の出ていた頃、薬の種類にとても詳しくなって(診断しちゃう、みたいな自信というか…)、聞かされて。
様々な面を見せてもらって。
(見守る人間の少なさの問題を、見守った私に向けられても)
見守ること自体を閉じ込められようとも、見えないようにもされて。
(あれから何年…)
(数十年前からのこと)
わからないように、著しい心理的外傷をと、
言動、行為、脅迫を押し付けようとされる方々。
(その中で見守らねばならなかったこと)
(浴衣をミシンで縫ってあげたこともありました)
(彼女自身で生地を選んだのですが)
(気にとらわれて森をみない)
何かに囚われて何かを見ようとされなかった、(職場でもそうでした)
過剰な思いをつのらせる方がいるのだとしたら、
(思い出してしまったことに、しんどさはあります)
祖母や母親、他の方々の制作したものを、
割合フラットに扱ってほしいという想いを、
曲解されたとか、悪用というか、何かはご自覚され…不自然な表れが早速。
ちょっとお買い物をしただけですよ。
(繊維街、9日)
救いは、
(1983年からの調査内容の検証だったり)
https://chuokoron.jp/series/116985_3.html
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/10/blog-post_02.html?m=1
重心、重点、
分遣、派遣、
拍子が抜けないように、ということで。
多様性を失わず、
(それらをずらされないようにも)
8日15時前のやりとりで、新たなカードを使用。
(模様替えとともに)
私自身(70年代60年代における)心身の状態にも思いを馳せるような段階に入り、
調べものの観点も変化して。
私の、おだやかさは増えます。
11日編集。