霜のある風景 11.25/7:43
.
先日だけでなく いろいろな場面で違和感があったのは
サイレンが鳴っても 聞こえているのか いないのか
「危機感」の「鈍化」などが かなり進んでしまったのか
大勢 ほとんどの方が無関心だったこと
.
(何十年か) 抱えてきたことでもあるのですが
ギャップなどを埋める必要がない方向ならば あまり気にしなくてもいいのでしょう が
.
たとえば 同じ空間にいるときや 離れているときでも コミュニケーションなどで
気をつけないと 上手に 盛られますし
(タイセイのカコミやバラマキを享受されること とか)
あれですし
.
...................
.
ここ十年くらいの感覚 感想としまして
何を見ても‥たとえば盆踊りを含めた古典踊りとか‥そして 洋服
店頭に飾られているのを目にすると ? と
古いテイストに 新しさをプラス とか 織り込むとかの「古さ」狙い なのか
.
? ? 「昭和」の いつ頃か のようではあるが
そのような醸し バランス 質 などを 表現しているようにも見えず
ほかの分野でも同じように感じており 「観ない」ようになった 大きすぎる理由でしょう
.
ある程度までの(とか 大量コピー系)ノウハウなどは すぐに取得できる 器用さ 頭の良さ
バリエーションの送出も なんなく
(片付けながらの作業は どうでしょう)
.
そういうふうに 「 」
.
分野 カテゴリー 種別 などの中で 増殖したのかな
そこで「悦」に入れるから 浸っていたいから
何かを創造する誰かたちが 踏まれていても むしろ あれなのかもしれない
(街中でも そんな風に見える‥特殊すぎる環境)
.
.
私はきっと 物足りない 満たされない想い‥ を そこに見ていたのだと思いますが
.
どなたかたちは そこに出入りしつつ 「重なり」の縮小を みていて
実感されているのかもしれません
.
.
独自の土台
何かを追求していただきたい と 真に
.
目頭にぬくもりを覚えるようなとき
それは まぎれもなく わたしの感覚なのですが
わたしひとり だけのものではない とも